「ハイヌーン」と「シェーン」      電気新聞 時評 (2003.10.3)

           金子 熊夫

                                                                                                                                                                                                                                                                                                         

いささか旧聞に属するが、二年前小泉首相とブッシュ大統領がワシントンで最初に会談したとき、お互いに西部劇が大好きだということで意気投合し、首相は大統領を往年の名画「ハイヌーン」(日本名は「真昼の決闘」)に出てくる保安官に見立てて「ミスター・クーパー」と呼びかけたとか。

確かにテキサス出身のブッシュ氏は、カウボーイ・ハットがよく似合い、その外交スタイルにもそれらしいところがある。先きのイラク戦争のときの采配にもそれがよく現れていた。

問題は、彼がクーパー保安官だとすると、小泉氏はさしずめ、グレース・ケリー演ずるところの新妻ということになるのだが、敬虔なクエーカー教徒で暴力を否定する彼女は、一度は彼を見捨てて馬車で立ち去るが途中で引き返し、最後の危機一髪の場面で、新郎を狙う悪漢を背後からライフル銃で射殺してしまう。有名なクライマックス・シーンだが、この辺りの彼と彼女の関係は、現在の日米同盟関係に置き換えてみると中々意味深長だ。いつまでも「集団的自衛権はあるが行使できない」などと言って尻込みしていると、新妻役も満足には務まるまい。

 ところで、西部劇のもう一つの名画に「シェーン」がある。ストーリーは改めて紹介するまでもないが、私がここで取上げたいのは、主役のアラン・ラッドではなく、敵役の方である。性格俳優ジャック・パランスが演ずるこの敵役は、いかにもニヒルで陰険な男で、しかも早撃ちの名手だ。

だが、いくらプロの殺し屋でも、正当な理由もなく相手を殺すことは出来ない。そこで彼は、どうしたらシェーンを直接対決に誘い出せるか策略を巡らす。

そこへ、お誂え向きに、シェーンの仲間の若者が町の酒場にやってくる。どうみても田舎者で、拳銃の腕も大したことはないのだが、血の気が多いタイプで、「お前みたいな小僧は、人並みに拳銃をぶら下げているがどうせ撃てやせんだろう。さっさと消え失せろ」等と面罵されて、つい頭に血がのぼり、思わず腰の拳銃に手をかける。

その瞬間、殺し屋は待ってましたとばかり、一瞬早く拳銃を抜き、簡単に男を殺してしまう。計画的な挑発に乗せられて先に拳銃に手をやった方が負けだ。殺し屋の方は「正当防衛」と見なされるから、後で保安官が来ても縛り首にはならない。こうしたシーンは他の西部劇にもよく出てくるが、これも見方によっては中々暗示的だ。

最近の具体例で言えば、一九九〇年八月の湾岸危機のサダム・フセインがそうだ。彼は直前に、イラク駐在の米国大使(女性)を呼んで、それとなく、「もしイラク軍がクエートとの国境保全のため部隊を集結したらどう思うか」と探りを入れると、大使は「それはイラクとクエートの問題だから米国政府はとくに関心がない」という趣旨のことを言ったらしい。大使が故意にフセインをミスリードし、侵攻を挑発したかどうかは必ずしも審らかでないが、結果的にフセインは米国の意図を読み違えて戦争に突入した。

ところで、今春のイラク戦争についても、開戦の最大の理由とされる大量破壊兵器(WMD)が未だに発見されていないことから、ブッシュ大統領やブレア首相の責任を追及する動きがある。しかし、イラクも、もし本当にWMDを保有していなかったのなら、もっと早期に、もっと明瞭な形でそれを自ら証明すべきであった。それを、いかにもWMDを持っているかのごとく振舞って、米英の先制攻撃を許したのはフセイン一生の不覚であったと言えるのではないか。

さて、フセイン亡き()後、いまや「悪の枢軸」の最右翼となった金正日政権を米国がどう料理するか、要注意。