日米中の複雑な三角関係

          金子熊夫

古い話で恐縮ながら、今から半世紀近く前、筆者が外務省に入った直後、同期生たちと一緒に、吉田茂元総理を大磯の私邸に表敬訪問し懇談した折に、ポツンと言われ、今でも耳の底にこびりついているのは次の一言である。「諸君、将来中国との関係が大事になるぞ。しっかり勉強しておき給え」

当時は田中訪中による日中国交正常化の10年ほど前で、日本では「中共」と呼んでいた時代だ。「竹のカーテン」に遮られた中国は全く得体の知れない存在であったから、吉田さんのこの忠告もあまりピンと来なかった。今思うと、若いころ外交官として中国各地に在勤し色々経験された吉田さんは、中国の動向に強い関心を持っておられた。自ら首席全権としてサンフランシスコで平和条約と日米安保条約に調印し、それで日米関係は一応しっかりした基盤に乗せたが、日中関係は全く手付かずだったので、そのことを非常に心配しておられたようだ。

あれから半世紀。さる6月2日、鳩山由紀夫氏が突然内閣総理大臣を辞任されたが、その主因となった米海兵隊の沖縄・普天間飛行場移設問題は、図らずも日本人の「日米同盟」と中国との関係に関する中途半端な姿勢を露呈する結果となった。それは鳩山氏や民主党だけの話ではなく、大多数の日本人も同罪だろう。戦後65年間、占領時代に制定された「平和憲法」の下、米軍による抑止力に守られて、「一億総平和ボケ」に安住してきた結果に他ならない。

元々鳩山氏等は米軍基地は無い方がよく、「常駐なき安保」が最善と考えていたようだが、それがいかに非現実的な考えであるかは、今回の普天間問題を通じて十分悟ったと思う。菅直人新首相は、社民党的な「非武装中立」とは一線を画しているはずだが、果たして日米同盟関係をどれだけ本気で重視しているか。

しかし、より根源的な問題は、中国をどう見るか、軍事的な「脅威」とみるかどうかである。民主党は概ね親中的のようだから、それほど脅威を感じていないらしいが、近年の中国の驚異的な軍事力(とくに海軍力と核戦力)の増強ぶりに目を閉ざすわけには行かない。日本が進んで親中的姿勢を示せば中国も親日的になり、日本を侵略しないだろうというのは浅慮だ。大袈裟に言えば、日中関係は今や千四百年昔の聖徳太子以前に逆戻りしたと言うべく、彼我の力関係はほぼ完全に逆転している。とても独力で対抗できる相手ではない。日米同盟の力で辛うじて対等に付き合える関係だ。

ところが、肝心の米国の対中姿勢も近年大きく変化しつつある。「G2」とか「チャイメリカ」という言葉が示すように、米中は経済的に分かち難く結びついており、とくにオバマ政権の対中接近は疑う余地も無い。日本では日米中は「二等辺三角形」であるべきだとするのが主流派だと思うが、いつの間にか「正三角形」になり、やがて「逆二等辺三角形」になる日が来るかもしれない。経済面だけでなく、国連安保理常任理事国、核兵器国として、米中は政治、軍事面でも共通点が多い。

この関連で、いささか気になるのは、日米同盟は「壜の蓋」(cork in the bottle)という考えが米中に根強いことだ。日本には未だに気づいていない人が多いようだが、日米同盟は日本自身の核武装や軍国主義化を押さえ込む狙いもあるという見方が以前から存在する。中国がかつてのように日米安保を非難しなくなったのもそのためで、日米同盟が日本への重石になっていることは中国にとっても好都合ということだろう。

事ほど左様に日米中関係は複雑怪奇で、とても一筋縄ではいかない。この傾向は将来加速することはあっても決して無くなるまい。天国の吉田さんは現状をどう見ておられるのだろうか。