企業トップの責任のあり方               (電気新聞・時評  2004/9/3)

          金子 熊夫

 去る八月九日、関西電力美浜原子力発電所3号機で発生した蒸気噴出事故は、五名の犠牲者を出すという痛ましい結果となった。

筆者自身は技術的専門家ではないが、信頼すべき専門家の話では、この事故は、放射能とは全く関係のない二次系配管の破損によるもので、火力発電所や他の一般的な製造工場でも起こりうる種類の事故ということだ。が、稼働中の原子炉建屋内で起こったということで、世間では「原発事故」と受け止められるのは止むを得ない。

今回の事故により、関電が進めていたプルサーマル計画は勿論、核燃料サイクル開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」の運転再開問題にも何らかの影響が出てくることが懸念されている。いずれにしても、せっかく立ち直りつつあった我が国の原子力発電、とりわけ核燃料サイクル計画が再び停滞を余儀なくされる惧れが出てきている。

 当事者の関西電力が事故発生の原因を徹底的に究明し、再発防止に全力を尽くすのは当然であり、その過程で企業としての責任問題にも正しく対処すべきことは言うまでもない。事故発生直後現地を視察した中川経済産業大臣は、関電の最高経営責任者である藤社長の進退について触れ、政府や業界内にも同社長の引責辞任は避けられないと見る向きが多いようである。

 関西電力とも他のいかなる電力会社とも全く無関係の局外者がとやかく言うべき事柄ではないが、私は、しかし、藤社長は辞任すべきではない、断固として留任して事故再発防止と企業体質の改善に最善を尽くすべきである、と考えている。

 他人の心中を勝手に忖度するのは慎むべきであるが、事故の責任を取って社長を辞任するのはある意味で簡単なことで、ご本人にとってはその方が楽かもしれない。犠牲者やその遺族に対するお詫びとして、その道を選択したいという気持は十分理解できる。しかし、たとえ辞任しても死者が甦るわけでも、遺族の悲しみが無くなるわけでもない。

 むしろこの際敢えて、事故による傷をしっかりと胸に刻み、大きな十字架を背負った気持で、今後の再発防止、さらに事故を生んだ企業の徹底的な体質改善に死力を尽くすという一層困難な道を選ばれるべきではないだろうか。さらに藤社長には、電気事業連合会会長としてやりかけの仕事も山積しており、これらの仕事は並大抵の努力では到底成し遂げられないものであるが、だからこそ、今まで以上の決意を持って取り組んで行かれるべきだと思う。

 従来我が国では、JCO事故、東京電力の一連の不祥事等々のたびに企業のトップが一斉に引責辞任した。そうすることで過去を水に流し、新規播き直しを図るというプロセスが繰り返されてきた。個々のケースによって事情が異なるので一概には言えないが、私には、このような責任の取り方が最善だとは思えない。世間の批判に耐え、捨て身で現状打開に邁進するのも立派な責任の取り方であると信ずる。

 ただし、いくら心の中で決死の覚悟を固めていても、外に現れなければ世間は納得しない。そこで、甚だ不躾な提案であるが、例えば向こう最低一年間、喪に服するつもりで関電の全社員は、少なくとも幹部社員は全員、常時作業服で過ごしたらどうか。背広を着た一般のサラリーマンとは違い、電力の安定供給という重大な社会的使命を帯びた企業の社員として、謙虚に、しかし正々堂々と頑張ってもらいたい。

 

 

 「電気新聞」時評欄掲載 04.9.3)