新春講演会「原子力産業の将来展望」(2005.2.1

日本のエネルギー国家戦略と原子力の役割

          いま日本は何をなすべきか?

    金子 熊夫

                             エネルギー戦略研究会会長EEE会議代表(主宰者)


<はじめに:自己紹介をかねて>  

 私と原子力問題との関わりは40年以上の長きに及ぶが、原子力業界(いわゆる原子力村)には一度も在籍したことはなく、この業界ではあまり知られていないのではないかと思うので、冒頭に簡単な自己紹介をさせていただく。

私は1960年代の初めから約30年間キャリア外交官として内外で働いてきた。元来は典型的な文系人間で、子供の頃から理科とか数学は不得意であったが、どういうわけか東京でも海外でも、エネルギー、核・原子力、環境問題といった科学技術絡みの問題に比較的深く関わってきた。

私が最初に関与したのは環境問題で、日本では最も古く、1960年代の後半からこの問題に関わってきた。当時は日本経済の高度成長時代のピークで、高度成長のひずみである「公害」が表面化しつつあり、国内では専ら公害問題(水俣病、イタイイタイ病、カネミ油症、川崎・四日市喘息など)が重大な社会問題になっていた。しかし、世界的には、当時すでに、地球規模の環境問題が国連を中心に盛んに議論され始めていた。国連主催の第1回人間環境会議が、1972年6月スウェーデンのストックホルムで開催されることに決定すると、「環境」という概念が急速に国際社会で普及し始めたが、日本国内では、相変わらず「公害」一点張りで、海外との意識のギャップは広がるばかりであった。

そこで、こうした国内状況に焦燥感と危機感を感じた私は、「公害」に代わる新しい概念として「環境」という言葉と概念を日本に導入し、その普及に邁進した。「かけがえのない地球」という有名な言葉は、そうした啓蒙活動の一環として、私自身が1970年頃に考案したものであるが、この言葉が、日本における地球環境意識の高揚に多大の貢献があったことは今や歴史的な事実と言ってよい。私はさらに、環境庁(環境省の前身)の創設(1970年)にも関与し、事実上初代の環境庁長官である大石武一氏(故人)と共に日本政府代表として72年6月のストックホルム会議に出席。続いて、同会議後新設された国連環境計画(UNEP)に日本人職員第1号として4年半勤務し、世界の環境問題の企画立案に当たった。(この辺の事情については、岩波講座「地球環境学」第10巻所収の拙稿「『地球環境』概念の誕生とその発展過程」に詳しい。)

国連から帰国した1977年から80年代にかけては、一転して、外務省の初代の原子力課長というポストで、原子力の平和利用(すなわち原子力発電)と軍事利用(すなわち核軍縮・核不拡散)に関する外交問題をかなり長い期間にわたって担当した。この時期、私がとくに苦労したのは、1977年初め、突如カーター政権下の米国が日本の核燃料サイクル計画、、とりわけ東海再処理工場の運転に対し、核拡散問題を理由に強く反対してきた時である。日米政府間では非常に激しい外交交渉が約5年間も続いたが、我々の必死の努力の結果、我が方の主張の線で交渉は妥結し、日本の核燃料政策は最大の危機を乗り切った。その後は今日に至るまで、原子力平和利用をめぐる日本と米国、英国、フランス、カナダ、オーストラリア等との関係は比較的安定しているが、その基盤は大方この時代に私が中心になって築いたものである。逆に言えば、現在日本の原子力が直面している厄介な諸問題(国内の再処理、英仏への再処理委託、プルトニウムや高レベル放射性廃棄物の返還・海上輸送、高速増殖炉、プルサーマル計画等々)は大方この時代の決定に起因するものであり、それだけに私は現在も個人的な意味で責任を痛感しており、未だに原子力との縁が切れないでいる次第である。

他方、私は、原子力の軍事利用、すなわち核兵器、核拡散問題についても長年深く関わってきた。1960年代には核兵器不拡散条約(NPT)の交渉や日本の署名・批准問題にも関与した。こうした私の原子力・核問題との関わりについては、拙著「日本の核・アジアの核」(朝日新聞社、1997年)で詳しく触れているので、関心のある方は是非ご一読願いたい。

このように私は、30年に及ぶ外交官生活で、環境問題とエネルギー・原子力とにそれぞれ10年近く関係したわけだが、このような一見相対立する2分野で長年仕事をしてきた役人は私以外にはまずいないだろう。その意味で私は日本ではかなりユニークな存在だ、と自負している次第である。

1989年に外務省を退官し、以来10余年大学で国際政治学を教えたり、いろいろな外交問題の研究等を行なってきたが、こうした通算40年に及ぶ長年の個人的体験から、私は現在でも日本のエネルギー・環境問題については人一倍強い関心を抱いており、これらの問題について全国各地、世界各国を回って講演をしたり、市民活動等にも参加している。 ただ、私自身は冒頭で申し上げたように元来文系人間で、専門分野は国際政治学とか安全保障論なので、私の問題意識は、常に、エネルギー・環境問題が世界的にどうなっているか、そして日本がその中でどのような立場におかれているのか、日本はこれからどういう方向に向かってゆくべきなのか、ということにある。

そのような観点から世の中の動きを眺めていて、私は、最近の国内状況には深い憂慮、ある種の危機感を禁じえない。そこで、この機会にエネルギー・原子力問題、環境問題を日本という国の「国家戦略」という高い次元から見直して、私見の一端を率直に申し述べ、皆様のご参考に供することとしたい。忌憚のないご批判をいただければ幸いである。 

<過去の石油危機の教訓と新しい危機への対応>


  さて、いまから30余年前、1973年秋、イスラエルとアラブ諸国の間で突然(第4次)中東戦争が勃発し、石油の輸出がストップした。このため、世界中が大変な目にあったが、輸入石油の約90%を中東のペルシャ湾岸諸国に依存していた日本がとくに大きなショックを受けたことは言うまでもない。

私はちょうどその頃日本政府から国連に派遣されて、当時スイスのジュネーヴにあった国連環境計画(UNEP)事務局で勤務していたが、毎日日本から送られてくるニューズで日本全体が大変なパニック状況に陥った様子を知り、とても心配したことをいまでも忘れられない。

なぜ日本が石油を供給してもらえなかったかというと、日本は当時米国に同調してイスラエル寄りの外交政策をとっていたので、アラブの産油国から「非友好的」とみられたことが一因としてある。この状況は現在ではある程度是正されたが、日本が国際政治上で微妙な立場に置かれていることには変わりがない。(ついでに言えば、かつて日本が米国と戦った太平洋戦争=大東亜戦争も、その原因の1つが米国等による対日石油禁輸措置であったことを想起する必要があろう。最近の湾岸戦争やイラク戦争においても石油利権が大きな要因となっていたことは公然の事実である。)

 この第1次、第2次石油危機の苦い経験を生かして、日本は、1970年代半ばから国内のあらゆるレベルで省エネルギー努力を本格化するとともに、石油代替エネルギーの開発、とりわけ原子力発電をきわめて積極的に推進した。その結果、日本の石油依存度も対中東依存度も着実に減り始め、石油危機から10年後には対中東依存度は60%台にまで下がった。しかし、「喉元を過ぎれば、、、」の譬えのように、最近では、対中東依存度は30年前と同じ90%近くに戻ってしまっている。 
 
  世間では、石油は(あと43年しかもたないという公式の予測に反して)あと70,80年、100年でももつから心配要らないという意見と、他方で、いや石油時代のピークはすでに過ぎつつあり、「安い石油の時代」は終わったとみるべきだという意見が対立している。石油の専門家の間では、今のところ前者の意見が大勢のようである。しかし、エネルギー外交の現場を経験してきた私の見方は違う。私が特に強調したいのは、石油が世界のどこかにまだ沢山存在しているということと、それが常に―適時に適当量が適正価格で―日本に入って来るかどうかということとは全く別問題だということだ。世界の石油政策や石油市場を支配するのは産油国(彼らの多くは「石油輸出国機構」OPECという組織を結成している)と「オイル・メジャー」と呼ばれる欧米の巨大石油資本グループであり、彼らは、別々に一種のカルテルを結成して、石油の供給量も価格も自由に決定しているのだ。日本は残念ながら独自の交渉力を持たない。2000年春サウジアラビアにおける(株)アラビア石油(「日の丸原油」の代表格)の利権維持失敗はその端的な例であるが、最近でもイランのアザデガン油田開発を巡って日本は利権確保に苦労を強いられている。現在脚光を浴びている東シベリアやサハリン石油・ガス開発についても今後色々な紆余曲折が予想される。これらは外交、戦略的な配慮を抜きにしては考えらず、まさに日本のエネルギー国家戦略が問われていると自覚するべきである。

もう1つ石油について忘れてはいけないことは、その海上輸送の安全問題である。日本が中東から輸入する石油は大型タンカーなどの専用船で運搬されてくるが、地図をみれば明らかなように、中東と日本の間には、約13,000キロの距離があり、しかも途中には、ペルシャ湾、ホルムズ海峡、インド洋、マラッカ海峡、南シナ海、東シナ海というように政治的、軍事的に不安定な地域や海域が沢山横たわっていることである。これらの地域や海域で何か不測の事態(戦争、地域紛争、海賊、テロ等々)が起これば、日本も被害はまぬかれない。確かに、以前と違って現在では、石油の国家備蓄が約160日分もあるし、先進国同士の緊急融通スキームなどもかなり整備されているから、石油の供給が一時的にストップしてもすぐには困らないが、もし紛争が長引き、供給の中断が長期化すれば悪影響は避けられない。日本人は一般にこうした問題には疎いが、国際政治の現状に鑑み、常に警戒を怠るべきではない。

かつて太平洋戦争当時、「石油の1滴は血の1滴」といわれたが、昔も今も石油その他のエネルギーは日本の「アキレス腱」のようなもので、油断は禁物である。ちなみに、「油断」という日本語には、「油が断たれる」という意味がある。数年前まで経済企画庁長官を務めた作家の堺屋太一氏は、通産省の役人だった30年前に「油断!」という本を書いて、警鐘を鳴らしたが、この警鐘は現在でも意味を失っていないと思う。

もちろん、「第3次石油危機」なるものが来るかどうか、来るとすればいつか、誰にも断定的なことは言えないが、はっきりしているのは、これから起こり得る石油・エネルギー危機は、心臓麻痺や脳卒中のようにある日突発的なものではなく、胃癌や肝臓病のように、自覚症状がないうちにじわじわ進行して、気が付いたときにはもう手遅れだった、という形のものになるだろうということだ。そうなってから慌てないように、私達日本人は、日頃からあらゆる可能性を想定して、十分な対策を講じておくべきである。


<地球温暖化にどう対処するか? 京都議定書発効の影響>
 
 
 さて、地球温暖化は、昨今益々深刻な問題となっている。最近の欧米の専門家グループの研究によれば、
北極を中心として地球規模で気温の上昇が続いており、その影響が懸念されている。映画”The Day After Tomorrow”も決して全く荒唐無稽な話ではないだろう。

 言うまでもなく、温暖化防止は、世界中の国が背負うべき責任であり、日本も人口1億2,000万の経済大国として、二酸化炭素(CO2)などの排出削減の努力を怠るべきではない。このため、省エネルギーに一層努力するほか、将来的には、太陽光発電、風力発電などいわゆる「自然エネルギー」や、水素を利用した燃料電池などの「新エネルギー」の開発にも努力すべきである。これは国レベルだけの問題ではなく、私達市民レベルの問題でもあり、身近に出来る限りの努力をすることが大事だ。とくに重要なのは、私たちの日常生活に直接関連するエネルギー消費(自動車などの運輸部門と家庭での電力使用など)が増えており、ここからのCO2排出量が産業部門より多いということで、この点を国民はもっとしっかり自覚する必要がある。

 ただ、国際的に見た場合、地球温暖化問題で最も厄介なのは、先進国と開発途上国の関係である。いくら日本や欧米の先進国が一生懸命にCO2削減の努力をしても、巨大な人口を抱える開発途上国(例えば、人口13億の中国、9億のインドなど)にも協力してもらわないと効果があがらないということだ。彼らは、現在の地球温暖化は、産業革命以来200年にわたる先進国の活動によって引き起こされた問題だから専ら先進国の責任だとして、自分達は関係ないという姿勢をとっている。彼らの言い分にも確かに一理あるにはあるが、いつまでもそれでは済まない。まず日本などの先進国が進んで削減努力をし、模範を示すことによって、いずれすべての国が温暖化防止に協力するようにして行くことが重要だ。そういう考えで、1997年12月に日本の京都で開催された地球温暖化防止会議(正式には国連気候変動枠組み条約締約国会議=COP3)で、先進国に一定レベル(日本6%、米国7%、EU諸国8%。いずれも1990年比)のCO2削減義務を負わせる国際文書(京都議定書)が採択されたのである。

ところが、世界最大のCO2排出国である米国では、議会(とくに共和党系の議員)や実業界に、開発途上国に削減義務を負わせていない京都議定書は無意味であるとして、これに否定的な意見が強かったが、ついに2001年3月、ブッシュ大統領は、同議定書からの離脱を正式に発表した。米国の経済、産業を犠牲にするようなCO2の削減はできないというのが理由である。こうした米国の態度はあまりにも独善的、単独行動主義的として強く批判されなければならないが、さりとて米国抜きでは大きな効果を期待できないのも確かだ。今後こうした米国を京都議定書の枠組みにどう引き戻して行くか、国際社会にとっても大きな課題である。その一方で、環境保護に前向きのEUの主導により性急な規制措置がとられることにも、日本としては十分警戒する必要がある。 

さて、京都議定書は採択以来7年間も未発効のままであったが、ロシアが最近やっと批准したので、漸く今年2月16日に発効する見通しとなった。こうした動きと平行して、目下、同議定書に基づく「排出権取引き」や「共同実施」(JI)、「クリーン開発メカニズム」(CDM)等の問題が関係各国間、あるいは各企業間で盛んに議論されている。さらにまた、京都議定書の第1約束期間(2008-12年)に続く第2約束期間における各国の排出削減義務等をどう定めるかの検討もまもなく始まろうとしている。この関連で、とくに問題となるのは、従来削減の義務なしとされてきた開発途上国、とくに中国やインドのような人口大国をどう扱うかだ。いまのままでは、先進国がいくら頑張っても効果は薄いと考えられるからである。

一方、日本自身の問題としては、京都議定書で定められた国際義務(第1約束期間中にCO2等の排出1990年比で6%削減)を果たして履行
できるかどうかが厳しく問われている。現実には日本の排出量は
2003年末で8%増加しているので、6+8=14%も削減しなければならず、これは並大抵の努力では達成できない。このための対策の1つとして、国内では「環境税」の導入が提案されているが、まだ国内の合意が得られていない。今後、政府、企業、一般市民は一致協力して目標達成に一層努力しなければならない。

温暖化問題と原子力発電の関係>


 その関連でとくに重要視されるべき問題点の1つは、温暖化問題と原子力発電の関係である。既に「脱原発」を決めている一部のヨーロッパ諸国(ドイツ、スウェーデン、ベルギー等)を別として、日本やフランス、フィンランド、韓国、中国、インド、さらに最近では米国も、ブッシュ政権の下で、原子力発電重視政策をとっている。確かに原子力発電はCO2を排出しないから温暖化防止にも役立つ。このことはあまりにも自明のことであるのに、環境保護優先のムードの中で、原子力推進の必要性は一般市民にレベルでは忘れられがちである。原子力関係者は、今こそもっと自信と信念を持って原子力の重要性を大きな声で力説する必要がある。

できるだけ多くの国が原子力発電を行なうことは、エネルギー安全保障と温暖化防止のために極めて望ましいことである。勿論、原子力は万一事故が発生した場合のことを考えると、安易な気持ちでこれをやるべきではなく、どんな国でも出来るというものもない。しっかりした管理能力と具体的なニーズのある国だけが原子力発電を続けるべきで、そうでない国にまで原子力を無理に奨励すべきではない。このことは核不拡散上も当然のことである。現在東南アジアでも、ベトナムのように原子力発電の導入を真剣に検討している国があるが、日本はアジアの原子力技術最先進国として、相手のニーズと受け入れ能力をよく見極めながら着実かつ親身な協力、指導を行ってゆくべきである。

京都議定書の関連でもう1つの重要問題は、上記の「クリーン開発メカニズム」(CDM)の問題である。現在の京都議定書の枠組みの中では、原子力がCDMの対象から外されているが、これは、原子力がCO2を出さず最もクリーンなエネルギーであることを考えれば、極めて不適当な扱いである。これから原子力発電を導入しようとする国(例えばベトナム)にとってはCDMは十分有効な措置であり、第2約束期間(2013年以降)では是非原子力がCDMの対象に含まれるようアジア諸国と協力して働きかけを強化する必要がある。COPが各国のいわゆる「環境屋」に牛耳られている現状では、なかなか容易ではないが、関係する途上国とも十分提携して、粘り強く対処してゆく必要がある。

<エネルギー政策と環境政策は表裏一体である>

このように見てくると、日本人は、単に感情的、感覚的に、「原子力が好きだ、嫌いだ」、「必要だ、不必要だ」という言うのではなく、長期的な地球環境の保全とか世界中の国の人々のニーズや幸せをもよく考えて、正しい選択をしなければならない。もともと原子力については、原爆=核兵器=原発=悪という短絡的な心理状況が日本国内に根強く存在し、さらに種々の事故(トラブル)、不祥事などの結果、原子力発電に対する一般市民の目は極めて厳しいものとなっている。こうした不信感が増幅された結果、市民の間、とりわけ若い人々の間に「原子力離れ」が顕著になってきている。

しかし、日本は、果たして原子力抜きでやって行けるのか、地球温暖化防止に効果的に対処できるのか、冷静に考えなければならない。そして、もし原子力が日本の繁栄のために、あるいは地球環境保護のために真に必要不可欠なエネルギーであるのならば、私たちは、いたずらに感情的な拒否反応を示すのではなく、技術的な改良、改善により原子力の潜在的能力を最大限に活用する道を探るのが、成熟した国民の取るべき態度ではないだろうか。

もちろん、私は原子力が万能だと言っているわけではなく、それはあくまでもエネルギーの「ベストミックス」の1つとして位置付けられるべきものだと考える。現在原子力は日本の総発電量の35%、1次エネルギーの12%を受け持っており、このあたりが将来も妥当なところではないかと思う。ということは、逆に言えば、電力の65%ほどは、原子力以外のエネルギーでカバーしなければならないわけであるが、温暖化対策上化石燃料(石油、石炭、天然ガスなど)の使用をこれ以上増やせず、水力発電も頭打ちだとすれば、当然、太陽光、風力、バイオマス等の自然エネルギーや水素エネルギー(燃料電池)など―-これらは一括して「再生可能エネルギー」あるいは「新エネルギー」と呼ばれる―-に期待する以外になく、日本は今後そうした新しいエネルギーの研究開発に最大限の努力を傾けなければならない。それにはまだまだ莫大な時間と金がかかり、近い将来にはあまり多くを期待できないが、いずれ21世紀の終わり頃には新エネルギーが主役になる時代が来るだろう。そして、それまでの繋ぎとして原子力が、かなりの長期間(おそらく最低でも50〜100年間)にわたって、重要な役割を果たし続けなければならないだろう。

私たち日本人は、これらのことを冷静に理解し、「痛み」を皆で分かち合う気持ちが何よりも大切である。とくに大都会に住む人間は、自分たちこそエネルギー・電力の最大の受益者であることを自覚し、NIMBY的態度を卒業して、国の長期的なエネルギー安全保障と温暖化防止に貢献するとの姿勢を固めるべきである。そして、その中で、今一度原子力の重要性を再認識しなければならない。それは、この有限な「宇宙船地球号」の住人の一人としての義務であり、それこそが私が35年前に案出した「かけがえのない地球」という言葉の真の意味である。京都議定書の発効を間近に控えて、我々日本人は改めてこのことをしっかり肝に銘じておかねばならない。


 <日本の原子力のルネッサンスのために> 

 さて、話を本題の原子力問題に戻そう。
1970年代の2度の石油危機以後、日本は「脱石油」を合言葉に、石油代替エネルギー源の切り札として、原子力発電を強力に進めてきた。その結果、日本では現在53の原子炉が稼動しており、全発電量の35%を発電している。絶対量では米国、フランスについで世界第3位である。

 しかし、近年では、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」のナトリウム漏れ事故(1995年)、東海村JCO界事故(1999年)など、さらに最近では関西電力の美浜原子力発電所の蒸気噴出事故(昨年8月9日)等のせいで、原子力は一般的に危険だ、不安だという気持ちが国内に広がっており、国民の原子力に対する信頼感が失われつつある。元来日本人の心の中には、広島、長崎の原爆の記憶があり、核=原子力=悪・危険という思い込み(一種のアレルギー症)がつよいのは、やむをえない。原子力発電に携わる人々には、このことを片時も忘れず、事故の教訓を生かして、一層安全な原子力発電のために今後さらに努力してもらわなければならない。

さらに、近年では、電力自由化の進展により、原子力は経済性の問題にも直面している。確かに安全性や経済性は極めて重要だが、それだけですべてを判断してよいかどうかは疑問だろう。日本型の軽水炉による原子力発電の安全性が、国際的な比較でみて依然として極めて高いレベルにあることは紛れもない事実だ。国際原子力機関(IAEA)も太鼓判を押している。経済性について、タイムスパンの問題があり、原子力が(核燃料サイクルを含めて)特に不利という結論にはなっていない。しかも、原子力は「準国産」エネルギーとして、輸入に頼る石油、天然ガスなどと比べて、供給面で安定しているという大きな利点がある。さらに、CO2を排出しないという点で地球温暖化対策上、原子力が極めて有利であるということも忘れてはならない。

こうしたことは、1つ1つは一般市民もよく理解しているはずだが、それが原子力への理解と支持を広げることに繋がらないところに今日の問題がある。対策としては、急がば回れで、まず一般市民に対する効果的な広報活動と、若い世代に対する適正な教育活動の強化拡充が急務であるが、そのためには、原子力関係者(とくに技術者)が、自らの殻から脱して、勇気と信念を以って原子力の重要性を訴えることが何よりも肝要である。日本の原子力のルネッサンスは、決して外から自然に起こるものではなく、内部からの懸命な努力によって初めて可能になるのである。原子力関係者は他流試合をすることを恐れてはいけない。原子力関係者が長年の経験と情熱をもって語るとき初めて一般市民も耳を傾けるだろう。このことを信じて一層奮励努力していただきたい。

 では、具体的に何をなすべきか。これについては、私が長年主宰している「エネルギー環境Eメール(EEE)会議が最近公表した2つの政策提言をご紹介しつつ、さらに具体的に述べることとしたい。

                                                    以上

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付属資料:

1.「我が国の核燃料サイクル政策に関する提言」(EEE会議有志会員47名の連名で2004年6月11日公表)

2.「我が国の高速増殖炉開発に関する緊急提言」(EEE会議及びエネルギー問題に発言する会の有志会員78名の連名で2005年1   月19日公表)

3.特別シンポジウム「エネルギー国家戦略と原子力:日本の選択」(EEE会議の主催で2004年8月25日経団連会館で開催)の    議事録 (部数制限あり)


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