NPTは金科玉条に非ず

                   金子 熊夫

  広島・長崎被爆六〇周年の今年、第7回目の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が五月にニューヨークの国連本部で開かれる。

 発効して35年のこの条約は、近年とみに綻びが目立ち、もはや崩壊も同然との見方が多い。しかし、私が本欄で幾度も指摘したとおり、核兵器に関する唯一の国際法規範である同条約は、どんなに不備があっても我慢して堅持せざるを得ない。

そもそも、加盟していない国に条約遵守を強制することは出来ないし、条約違反に対し直ちに処罰や制裁を科すことも出来ない。それはNPTの不備のせいというより、国際法制度自体が全く未成熟で不完全であるからだ。

北朝鮮が非難を覚悟でNPT脱退を宣言した以上、法的にはこれに対して打つ手はない。唯一の対処方法は国連の安全保障理事会に付託して制裁を決議することだが、常任理事国5カ国のうち1カ国でも反対したら決議は出来ない。イラン問題も同様である。

だが、そのこと以上に問題なのは、NPT上特権的地位を認められていながら、一向に核軍縮義務を果たそうとしない5カ国(米露英仏中)の怠慢だ。あまつさえ9.11以後米国等は新型核兵器の開発を急いでいる有様だ。

その一方で、米国や国際原子力機関(IAEA)は、核拡散防止のためと称して、新規の再処理、濃縮施設の建設やこれに関連した資材・技術の輸出を制限する「多国間核管理構想」を提案している。当然、非核兵器国側はNPTで認められた原子力平和利用の権利を害するとして、つよく反発しており、五月の再検討会議での紛糾は必至だ。

 こうした厳しい国際状況の中で、IAEANPT体制の模範生を自認する日本は、一方で米国の「核の傘」に依存しつつ、他方で国内の再処理、濃縮事業を守りながら、核兵器国と非核兵器国の狭間で難しい舵取りを余儀なくされている。一歩間違えると、「日本もまた核武装するのでは?」という疑惑を招きかねない。まさに日本外交にとって正念場である。

 しかし、だからと言って、NPT至上主義的な硬直した核不拡散政策を十年一日の如く今後も惰性的に続けてよいのか。条約発効後35年のこの機会に、政策の抜本的な見直しが必要だ。

現在の日本は、基本的にG8の一員として抑える側に立ち、ブッシュ大統領の提唱による「拡散安全保障構想」(PSI)の忠実な協力者を演じているが、これは所詮対症療法、彌縫策であって、効果は限られている。もっと日本独自の、ダイナミックな政策を立案、実施すべきだ。

 具体的にいえば、例えば、インドに対して。NPTに加盟せず核実験を行ったとの理由でインドは「村八分」同然。日本はODA大綱を几帳面に適用してごく最近まで対印経済協力を抑えてきた。日印原子力協力はゼロだ。

近年IT分野におけるインドの躍進は目覚しいものがあり、米国ですら、対印接近を強めている。日本こそ、将来の対中外交のテコとしてもっと対印関係を強化する必要がある。日印原子力関係も出来るだけ促進すべきだ。パキスタンと違って、不正な核輸出を行なっていないインドを敵に回わすより、むしろ味方にして核不拡散の実をとるべきではないか。

 ついでにもう1つ。ベトナム等東南アジアで真面目に原子力発電の導入を計画している国々に対しても、出来るだけ積極的に対応すべきだ。そのためには懸案の日越原子力協定を早期に締結すべきだ。ベトナムで安全で平和な(核拡散の惧れのない)原子力発電が行なわれることは単に日本の原子力産業だけでなく、日本とアジアの安全保障にもプラスだ。いつまでも「君子危うき近寄らず」では進歩がない。



(電気新聞・時評   2005/3/22)