<原爆60周年・NPT35周年>  

   
             日本の核不拡散政策と原子力平和

     利用外交への提言

                   金子 熊夫

                                                              (外交評論家、エネルギー戦略研究会会長)

<はじめに:NPT再検討会議の実情>

広島・長崎被爆60周年の今年、第7回目の核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が5月2日から27日までニューヨークの国連本部で開かれた。実は、5月2日に開幕されたものの、冒頭から各国の意見対立が激しく、最初の3週間は議題すら決められない状態で、実質的審議が行なわれたのは最後の1週間だけという有様であった。事前に十分予想されていたことではあるが、これほど空虚な再検討会議は過去に例を見ない。会議を空転、混乱させた最大の立役者は米国とイランであったが、そのほか、会議には出席していなかった北朝鮮の影も大きかったことは言うまでもない。

確かに発効して35年のこの条約は、近年とみに綻びが目立ち、もはや名存実亡、崩壊も同然との見方が少なくない。その根本的な原因は条約自体の中にある。今回の再検討会議でもしばしば指摘されたように、同条約の違反者を厳しく罰する規定が設けられていないことが最大の原因である。

だが、そのことを今更指摘しても仕方が無いことである。不備があるからと言って条約自体を改正しようとすれば忽ち条約は崩壊する。それほどデリケートなバランスの上に辛うじて成り立っている条約なのである。

しかしながら、核兵器に関する最も基本的な国際法規範である同条約は、たとえどんなに不備があろうとも堅持せざるを得ない。とりわけ日本は唯一の被爆国として核軍縮、核廃絶の旗を高く掲げ続けるべきであり、どの国にも増して本条約を引き続き支えて行く責任があると言えよう。

そもそも現在の国際法では、加盟していない国に条約遵守を強制することは出来ないし、条約違反に対し直ちに処罰や制裁を科すことも出来ない。とくにNPTは、その第10条で、いずれの国も「自国の至高の利益」が危うくなっていると認められるときはこの条約から脱退する権利を有するとはっきり書いてあるのである。従って、現在の諸々の問題は、NPTの不備のせいというより、国際法制度自体が未成熟で不完全であるためである。

北朝鮮問題について言えば、全世界の非難を覚悟でNPT脱退を宣言した以上、法的にはこれに対して打つ手はない。仮に核実験を強行したとしても、直ちに国際法違反とは言えない。核実験を行った場合のおそらく唯一の対処方法は、(米国が単独で北朝鮮の核施設を空爆により一気に破壊することを除けば)国連の安全保障理事会に本件を付託してその決議により制裁(強制措置)を科すことであるが、常任理事国5カ国のうち1カ国でも反対したら決議は成立しない。中国やロシアが拒否権を行使する可能性は否定できない。イラン問題があれだけこじれていながら、中々安全保障理事会に付託されないのもほぼ同様の理由によると言ってよい。

<核テロの恐怖と小型核兵器開発の動き>

だが、そのこと以上に問題なのは、NPT上特権的地位を認められていながら、条約第6条で定められた核軍縮義務を一向に果たそうとしない5カ国(米露英仏中)の怠慢である。あまつさえ9.11以後米国、ロシア等は泥沼化する地域紛争や懸念される核テロへの対抗手段として益々核兵器重視政策をとっている。

冷戦時代と違うところは、米ソ両超大国がお互いを確実に抹殺するような大量かつ大型の核兵器ではなく、実際に使えるような小型の核兵器に重点を置いていることである。特に米国は、1キロトン以下の「ミニ核兵器」や、地中深くに構築された敵の陣地、弾薬庫、核施設などを破壊できるような地中貫通型核爆弾(いわゆるバンカーバスター)等の開発を急いでいる模様である。そのため1993年以後中断していた核実験を再開すべしという声がワシントンで出始めている。

弱小国に対して核兵器を使用するのはあたかも「鶏頭を割くに牛刀を用いる」如きものだと思われるが、最近米国では、テロリストが核兵器または核物質(放射性物質)を使って攻撃してくる事態を想定し、核使用の敷居を低くするために超小型の「使える核兵器」の開発が必要との意見が少なくない。9・11タイプの核テロ攻撃に対する恐怖は「悪夢」のように米国人の心に重くのしかかっているようである。広島・長崎から60年経って、米国人が核兵器の恐ろしさに怯えている状況は歴史の皮肉というほかはない。

 

<再処理・濃縮活動への制限>

その一方で、米国のブッシュ大統領は昨年2月、新規の再処理、濃縮施設の建設やこれに関連した資材・技術の輸出を制限する新国際核管理体制の構築を提唱した。片や国際原子力機関(IAEA)のエルバラダイ事務局長は、一昨年末以来「多国間核管理構想」(MNA)を提唱している。これは、再処理、濃縮施設の建設・運営は1国ベースではなく、多数国ベースでのみ認めようとするもので、そのような仕組みが出来るまで当面5年間は再処理、濃縮施設の建設を凍結すべき旨提案している。同様の構想は、1970年代からIAEAや核燃料サイクル評価(INFCE)会議等の場で何度も議論された経緯があり、筆者は70年代後半の東海再処理交渉の頃から外務省の初代原子力課長としてこれらの議論に深く関わってきた。歴史は繰り返すの感がつよい。

ちなみに、今日のブッシュ構想とエルバラダイ構想の違いはいくつかあるが、簡単に言えば、(1)前者は、(日本のような)すでに機能している大型の再処理、濃縮施設を持つ国は除外し、それ以外の国での同種施設の建設を認めないとしているのに対し、後者はそのような区別は認めていない(従って、日本の六ヶ所再処理工場が対象となる可能性も排除されていない)、(2)構想の実施方法についても、後者は当然IAEA中心であるのに対し、前者はIAEAでは不適当として、先進国主導の「原子力供給国グループ」(NSG)の協力によって達成しようとしている点などである。米国のIAEA不信、さらに言えば、エルバラダイ氏個人への不信がその根底にあると見られる。

これら2つの構想に対しては、当然ながら、非核兵器国側から強い反発が出ている。5月の再検討会議でも、これらの構想はNPT第4条で認められた原子力平和利用の権利(いわゆる「奪い得ない権利」)を害するものであり、認められないという強い反対意見がイランを始め多数の非核兵器国から表明された。

実は日本政府も、このエルバラダイ構想には批判的で、同構想の実効性についていくつかの疑義を指摘した。この構想が仮に実現したとしてもイラン、北朝鮮や、インド、パキスタンなどのNPT非加盟国に対して実効性の無いものでは全く無意味であるとの指摘はその通りである。

しかし、だからと言って、日本としては、ただエルバラダイ構想に反対するだけで済む話ではない。今後とも国際的な議論の帰趨を見極めながら、かつ自らの再処理、濃縮を含む核燃料サイクル活動への悪影響を避けつつ、できるだけ核拡散防止に実際に役立つ国際的仕組み(レジーム)の構築に協力するとの姿勢を示すことが肝要である。

とくに今後重要な論点の1つは、NPT第4条の原子力平和利用の権利は無制限なものではなく、一定の制約(再処理、濃縮について)が必要とする米国の主張は一定の妥当性を持つと考えられるが、これをどう理論化して行くかということである。それは結局、日本とイランはどこが違うか、日本は何故OKなのか、ということを客観的に説明することでもある。いつまでも米国に孤軍奮闘させておくわけにも行かないだろうし、日米同盟のパートナーとして真剣に知恵を絞る必要がある。

 

<日本の核・原子力外交政策の見直し>

 以上みてきたような複雑かつ厳しい国際状況の中で、IAEANPT体制の模範生を自認する日本は、一方で米国の「核の傘」に依存しつつ、他方で国内の再処理、濃縮事業を守りながら、核兵器国と非核兵器国の狭間で難しい舵取りを余儀なくされている。一歩間違えると、「日本もまた核武装するのでは?」という疑惑を招きかねない。まさに日本の核・原子力外交にとって正念場である。

 さはさりながら、今までのように核軍縮については総論賛成、各論中立的な態度をとり、核不拡散についてはNPT至上主義的な硬直した政策を十年一日の如く惰性的に続けてよいのか。NPTは決して明治憲法のような「不磨の大典」でも金科玉条でもない。原爆60周年とNPT発効35周年のこの機会に、日本は従来の核不拡散政策と原子力平和利用外交のあり方を抜本的に見直す必要があると考える。

 ちなみに、核不拡散の面で、日本政府がアジア諸国に対して拡散防止のためのIAEA保障措置(safeguards)や核物質防護(PP)の重要性を広めるために一連のセミナーなどを実施していることはそれなりに評価できる。非核三原則と原子力基本法の下、平和利用に徹して原子力活動を行なってきた日本の経験と知識を国際的に役立てる作業は引き続き地道に行なって行くべきである。

しかしながら、現在の日本は、基本的にG8の一員として「抑える側」に立ち、例えば、ブッシュ大統領の提唱による「拡散防止構想」(PSI)の忠実な協力者を演じているが、これは所詮対症療法、彌縫策とみるべきであって、効果は限られている。核不拡散政策は国際安全保障政策の一環であり、NPTはそのための1つの手段であって、これだけを杓子定規に適用することが最善の策ではない。故に、日本は、もっと国際政治、とりわけアジアの現実を踏まえた、独自の、ダイナミックな政策を立案、実施すべきである。検討すべき事項は多々あるが、以下紙面の都合で、当面重要と考えられる事項に限って、若干具体的な政策提言を述べる。

 

<インドとの原子力協力関係を推進せよ>

 まず第1の問題点は、NPT非加盟国であるインド、パキスタンの扱いである(イスラエルは中東という特殊な地政学的状況に置かれており、日本との関係も薄い等の事情もあるので、ここでは検討の枠外におく)。

 インドとパキスタンとを比較した場合、後者はカーン(A.Q. Kahn)博士を軸とする「核の闇市場」への関与、さらに北朝鮮との核・ミサイル技術協力関係も明らかになっているので、日本としては俄かにこの国に対する警戒を緩めることは出来ない。

 対するインドは、原子力開発の分野ではアジアで最も古い歴史を持ち、原子力発電の分野でも長い実績を有するものの、未だかつて不正な核拡散行為や原子力密輸を行なったと疑うべき証拠はなく、むしろ慎重に対処、自粛してきたと見てよい。同国がNPTを頑なに拒否している最大の理由は安全保障問題、すなわち、隣国中国がNPT上核兵器国として格別に優遇されていることに対する不満、2度にわたる中印戦争での屈辱的敗北の体験、カシミールを巡るパキスタンとの対立等々によるもので、予見しうる将来同国のNPT加盟は期待できないとみるべきだろう。これはインド亜大陸における1つの政治的現実として受け入れざるを得ない。

 にもかかわらず、従来日本政府は、インドがNPTに加盟せず2度も核実験を強行したという理由で同国を長年「村八分」同然に扱い、ODA大綱を几帳面に適用してごく最近まで対印経済協力を抑えてきた。9・11以後米国の対印接近に伴い日本もようやく対印ODA凍結を「解除」し、その後対印ODAは順調に伸びてきているが、日印貿易・投資活動は未だに低調である。日印原子力協力に至ってはゼロと言ってよい。

近年IT分野におけるインドの躍進には目覚しいものがあり、今後インドは益々アジア外交の重要なプレーヤーとなるのは間違いない。米国ですら、対テロ戦争遂行上の必要性と経済的理由から対印接近を急速に強めている。日本こそ、将来の対中外交の1つのテコとして、伝統的に極めて親日的なインドとの関係をもっと強化する必要がある。

ついでに、この際、日印原子力関係も出来るだけ促進すべきである。長い間西側諸国との技術交流を閉ざされていた結果、インドの原子力活動は、ソ連 /ロシアの影響が比較的強く認められるほか、独自の国産主義(重水炉)路線をとっているので、直ちに日印で協力できる分野は限られているが、ラジオアイソトープ(RI)・放射線利用、原子炉の安全性(運転、保守、廃棄物対策等を含む)、さらに高速増殖炉開発の分野などで協力できることは決して少なくない。

もちろん、私は無条件に日印原子力協力を推進せよと言っているのではない。NPTに加盟せずとも、あたかもこれに加盟したかのごとく、核拡散防止の面では一定の義務を負わせる必要がある。例えば、包括的核実験禁止条約(CTBT)への加盟、原子力供給国グループ(NSG)のガイドライン(輸出規制指針)の遵守などのほか、将来日本から移転されることあるべき原子力資材、技術等については厳に「平和利用」に限る等の約束を確実に取り付ける必要がある。そうすることによって、インドに当事者的責任感を持たせ、アジアにおける核不拡散と原子力平和利用の確保に協力させることの方が、現在の没交渉状態よりも遥かに効果的であろう。村八分的な疎外(disengagement)よりも積極的な関与(engagement)の方が建設的という発想に切り替えるべきである。

 

<ベトナムとの原子力協定を早期に締結せよ>

 もう1つの問題点はNPT加盟の非核兵器国であるアジアの開発途上国との原子力関係である。日本は半世紀前原子力開発に着手してこの方、ウラン燃料や原子炉技術の輸入、濃縮・再処理サービスの購入等、自らの核燃料サイクルに直接関係する国々(米、英、仏、加、豪など)との交流は極めて密接で、これらの国々とは詳細な2国間原子力協力協定を締結してきたが、開発途上国(中国以外)とは全く締結していない。このため、世界有数の原子力技術先進国でありながら、単独での原子力プラント輸出の経験は無きに等しい(台湾と中国には特定の原子力機器を輸出したことがあるが、プラント輸出ではない)

 国内市場だけを相手としていれば事業として成り立った時代はそれでもよかったが、国内の需要が頭打ちの現状において、国内の原子力技術を維持、温存するためにも、旺盛な原子力需要のあるアジア諸国への原子力輸出は望ましいことと考えられる。

 しかしながら、例えばベトナムのように、2017年頃の1号機運転開始を目途に目下所要の準備を進めている国との関係においては、先方から熱心な協力要請があるにもかかわらず、日本の政府レベルでの対応は甚だ消極的であり、ヨーロッパ諸国や韓国などと比較しても大きく立ち遅れているのが実情である。日本の民間企業がいくら熱心に働きかけても、先方からみて、2国間協定が未だに締結されていないことは国としての対応に積極性が欠けると受け取られ、みすみすビジネスチャンスを逃す惧れがある。

 科学技術水準が低く、社会インフラの不備なところに原子力輸出は不適当であるという見方もありうるが、だからといって日本が協力しなくても、第3国からの導入によって原子力発電を行なう可能性があり、その場合、仮に将来重大な事故が発生しても、日本から十分な緊急援助を差し伸べることも出来ない。まして、核物質管理面での不備から核拡散のような事態が生じたとしても、「蚊帳の外」におかれていれば適切な対応が出来ない。これは我が国、ひいてはアジア全体の安全保障にも響きかねない。

 むしろこの際、安全面と不拡散面で実績のある日本が関与することによって、受入国での原子力平和利用活動が正しい方向に発展するのを助けるという前向きの姿勢こそ望ましいと考えられる。もちろん、原子力教育、技術訓練を通じて、受入国の人材養成、学術振興に貢献できるという側面も軽視すべきではない。日本自身、その原子力開発の黎明期において、米、英等に多数の原子力留学生を派遣し多大の恩恵を受けたが、このことを今想起する必要がある。

 以上の理由により、日本は今後原子力発電の導入を計画中の国、とりわけベトナムとインドネシアに対し、出来るだけの支援を行なうべきであり、その一環として2国間原子力協力協定を出来るだけ早期に締結すべきである。最初から本格的な協定でなくても、枠組み協定のようなものでもよいであろう。

 また、現在ベトナムでは原子力発電導入に関するフィージビリティスタディ(F/S)が行なわれようとしているが、これに日本企業が応札できるようにするためには、円借款などの政府資金(ODA)が使えるようにすることが望ましい。従来原子力関係のF/SプロジェクトはODAの対象外とされてきたが、以上述べたところから、これは合理的な理由を欠くので、早急に改めるべきである。

 ついでに言えば、地球温暖化防止のための京都議定書では「クリーン開発メカニズム」(CDM)から原子力が除かれた形になっているが、原子力がCO2を排出せず、温暖化防止にプラスであることを考慮すれば、これは甚だ不合理な取り扱いであるので、日本政府はベトナムその他アジアの関係諸国とも協力して、これを是正すべく最大限の努力をなすべきである。

 

                                                              (2005.05.23執筆)