原爆60周年 核を巡る3つのディレンマ              (「世界週報」 2005/9/27号掲載)

                                  金子 熊夫

                    (外交評論家、エネルギー戦略研究会会長)


原爆投下60周年の今年の夏は、例年になく核問題に関する議論が盛り上がった。核問題の専門家ということで筆者も各地に招かれて講演をしたが、その中で、核を巡って現在日米両国が抱えている3つの深刻なディレンマ(矛盾)について私見を述べた。

 

核の恐怖に取りつかれた米国

まず最大のディレンマは、核兵器という「パンドラの箱」を最初に開けた米国が、60年後の今日、自国に対する9.11タイプの核テロ攻撃の悪夢にうなされていることだ。ケネディ大統領時代のキューバ危機(1962)を別とすれば、米本土が直接狙われた経験が無いだけに、核テロに対する恐怖は異常なくらい大きいようだ。

現在ブッシュ政権は本土防衛を最優先し、全国で空港、港、国境、幹線道路等の監視体制を必至に強化しているが、もとより完璧は期しがたい。核爆発を伴わない只の放射性物質を使った「汚い爆弾」(dirty bombs)まで阻止することは事実上不可能だ。にもかかわらず巨額の金をこのために使っているが、その結果国内の災害対策がなおざりになり、今回の超大型ハリケーン「カトリーナ」の大惨事を招いたとの批判が強い。

いずれにせよ、核の恐怖は一旦これに取りつかれたら容易に払拭できない。対抗手段として米国は、1キロトン以下の小型核兵器や地中貫通型核爆弾(バンカーバスター)などの開発に躍起になっているが、効果は全く分からない。これこそ、ディレンマというより、歴史の皮肉、アイロニーというべきだろう。

 

「核の傘」依存症の日本

次のディレンマは、唯一の被爆国でありながら、国家安全保障の基軸を日米同盟関係におき、米国の核抑止力、すなわち「核の傘」に依存する政策をとり続ける日本である。国民は核廃絶を切に願い、政府も「非核・反核」を長年国是として標榜しているものの、現実に北東アジアにおいてソ連(ロシア)や中国の核兵器の脅威を受け、今また北朝鮮の核の懸念がある状況においては米国の「核の傘」への依存を継続せざるを得ないとされ、昨年12月に閣議決定した新防衛計画の大綱においてもこれを再確認している。

その結果として、いかに日本人が市民レベルで反核、核廃絶を叫んでも国際社会においては説得力を持ちにくく、主張が額面通り受け入れられないという現実がある。この現実に多くの日本人が気づいたのは、1998年9月、インド、パキスタン両国の核実験に一斉に抗議した時、この事実を先方に指摘され、「日本人には抗議する資格がない」とまで言われたからだが、それは勉強不足というものだろう。

だからといって、私は、日本人、とりわけ被爆者たちの核廃絶運動が無意味だと言うつもりは無い。たとえ至難の道ではあっても、世界で唯一の被爆国国民の道徳的責務として、今後も核廃絶の旗は高く掲げ、核軍縮と核不拡散を世界に訴え続けるべきである。

他方、米国の核抑止力への依存を已むなしとする人々も、いつまでも現状のままでよいと考えているはずはない。まず核の傘なしでも域内の各国が安心して生きていけるような政治・戦略環境を創り出す必要がある。私が長年提唱し、最近ではいくつかのNGOや一部の政治家も支持している「北東アジア非核兵器地帯」(NEANWFZ)構想は正にこのためのもので、今後同構想の実現に一層努力していく必要がある。(この点については、拙著「日本の核・アジアの核」[1997年、朝日新聞社]で詳述してある。)

 

原子力発電に頼らざるをえない日本

第3のディレンマは、唯一の被爆国で国民の間にはいまだに核アレルギーが根強い日本が、今や世界有数の原子力発電国(総発電電力量の約35%)であり、将来とも原子力依存を続けざるを得ないということである。

 日本は言わずと知れた資源小国で、エネルギー自給率が僅か4%と先進国中最低だ。石油のほぼ100%を海外から輸入、しかもその90%近くは政情不安な中東から。中東から13,000キロに及ぶシーレーン(タンカールート)の安全問題もある。マラッカ海峡については今春の「韋駄天丸」事件が記憶に新しい。

 こうしたエネルギー面での脆弱性を考えれば、準国産エネルギーとしての原子力の重要性は明らかだ。しかも、CO2とは無縁の原子力は、地球温暖化対策としても最適。京都議定書の6%削減目標の達成には原子力は欠かせない。 

 こうしたことから、国は原子力を基幹電源と位置づけ、近く正式決定される「原子力政策大綱」(旧称「原子力開発利用長期計画」)では、今後とも原子力を30〜40%かそれ以上のレベルで維持していくことが適当と明記されている。

 しかし、現実には新規原発建設計画は大幅に遅れている。その原因は、言うまでもなく、近年相次いだ原発事故や不祥事の後遺症のため地元住民の支持が得られないからだ。私は、その背景として日本人一般の原子力嫌い、原子力不信があると思うが、さらにその根底には「核兵器イコール原子力発電」という誤解があると思う。確かに両者は化学的には同根だが、原子炉は人智の及ぶ限り安全に設計されており、原爆のように爆発することはなく、事実、日本では大規模な原子力事故は一度も発生していない(1999年の東海村臨界事故は原子炉とは無関係)。

このことを何よりも学校教育でしっかり教えるべきだろう。同時に、日本のように国際原子力機関(IAEA)による査察を徹底的に受け入れ、透明度の高い国においては、原子力発電から核拡散が起こることはあり得ないことも十分広報、教育する必要がある。

 

(時事通信社「世界週報」 20059月27日号掲載)