(「月刊エネルギー」 200511月号 巻頭論文)

 

六ヶ所再処理工場は核武装のために非ず

〜海外の日本批判に答える

                             金子 熊夫

                              (外交評論家、エネルギー戦略研究会会長)

親愛なるバーナビー博士へ   

 

貴殿が最近相次いで欧米の新聞や雑誌に発表された論文を読みました。率直に言って、なぜ今頃になってこのような日本の再処理路線批判の論文を発表されたのか疑問に感じます。いままで海外からのこの種の批判に対し何度も公私の立場で反論してきた者からすると、「ああ、またか! 何故いつまでたっても日本の実情を分かってくれないのだろうか」と、いささかうんざりした気持ちにならざるを得ません。失礼ながら肉食系の遊牧民族の血を引く貴殿ら欧米人と違って、草食系の農耕民族を祖先に持つ日本人は、論争においても比較的淡白で、分かりきったことを何度も言うのは美徳ではないという感情が強いようです。従って私もあまり気が乗りませんが、黙っているのも腹膨るる思いがするので、この際敢えて反論の筆をとることにした次第です。

貴論文の主旨を私流にごく簡単に要約すると、北朝鮮の核開発計画などで北東アジア地域の危機が高まっており、日本は早晩自前の核兵器を持とうとするに違いない、日本には国内や海外で生産されたプルトニウムが大量に溜まっている、高度の原子力技術もミサイル(ロケット)技術も持っている、一部の有力政治家(小沢一郎氏ら)も核武装論を唱えている、こうした状況でアジア諸国は不安を感じて核兵器開発に走る国も出てくるので、この際日本は、被爆国として核廃絶の範を垂れるために、青森県六ヶ所村の大型再処理工場の建設、運転を断念すべきだ、ということだと思います。

こうした主張は、従来も海外の反核、反原子力団体によってしばしば繰り返されてきたもので、格別目新しいものではありません。しかし、去る5月の核不拡散条約(NPT)再検討会議が頓挫し、NPT体制の弱体化、形骸化がかつてなく懸念されているこの時期だけに、この論文の影響力は決して少なくないと思われるので、今回は要点だけ駆け足で反論させていただきます。

 

<日本は本当に核武装するのか?>

 

貴論文には2つのポイントがあると思います。第1点は日本は本当に核武装するのかどうか、第2点は日本は再処理(とくに六ヶ所再処理工場)を廃棄すべきかどうかです。そして理論構成上、どうやら第1点が第2点の前提になっているように思われます。そこで、まず日本が早晩核武装するだろうという貴殿の基本認識について考えてみます。

実は、戦後60年間日本国内では、ごく一部の政治家や学者を除き、一般国民の間で核武装問題はあまり問題になってきたとは思えません。最近の憲法改正論議の中でもほとんど問題になっていません。国是とされる非核三原則の思想を新憲法に取り入れるべきだという意見はあっても、核武装を是認するような考えを表立って主張する有力な政治家はいないと言ってよいでしょう。それだけ、戦後の「平和教育」が徹底していたとも言えるわけで、核兵器を憎む気持ちは日本人の心情に深く根付いていると見て差し支えありません。

むしろ日本核武装論は、日本国内より海外の論壇やマスメディアで話題となる場合が多いようです。とくにこの2、3年来、米国では、「ジャパン・カード」という考え方がよく聞かれます。これはご存知のように、一昨年1月、米国の論客チャールズ・クラウトハンマー氏がワシントンポストに載せた有名な論文の題名で、彼の主張は、「北朝鮮の核問題が中々解決しないのは、中国が北朝鮮に対して十分圧力をかけていないためだ。故に中国に対しては、『いつまでも北朝鮮の核をこのままにしておくと日本が不安を感じて、対抗上核武装に走るに違いない。それは中国にとって最も嫌なシナリオだろう。ならばもっと真剣に北朝鮮を抑えるべきだ』と言うのが効果的だろう」というものです。いかにも策謀好きな米国人が考えそうな論理で、その後、米国の何人かの大物政治家が同じようなことを主張しています。(現在中国が6ヵ国協議のとりまとめに積極的に動いているのが果たして、そのせいかどうかははっきりしませんが。)

 しかし、これはあまりにも短絡的、皮相的な議論で、日本ではまともに受け止められていません。国内には、北朝鮮が持っている(かもしれない)数発程度の核爆弾に対抗するために日本も核武装すべきだなどと考えている人はほとんどいないでしょう。もし日本が本格的に核武装をすることがあるとすれば、それは北朝鮮ではなく、中国(やロシア)に対抗するためであるはずです。とくに中国は高精度の核ミサイルを400発以上持ち、そのうちの相当数が台湾や日本をターゲットにしていることは、貴殿が以前所長をしていたストックホルム平和研究所(SIPRI)の最近の研究報告でもはっきり指摘されています。

 それでは日本は今後中国に対抗しうるだけの核戦力を持ちうるかどうか。技術的、経済的能力だけから言えば十分可能でしょう。貴殿が指摘されるように、核爆弾の素材となり得るウラン、プルトニウムや、ミサイルに転用可能なロケット技術も確かにあると思います。ただし、それは、日本に現在分離されたプルトニウムが○○トンあるから○○○発の核弾頭を比較的短期間に製造できるだろう、というような単純な話ではありません。民主党の小沢一郎氏などは、その気になれば1,2か月で相当数のものができると言って中国を牽制したと伝えられていますが、それは科学技術の知識の乏しい政治家の放言か政治的な発言の類いで、実際に原子炉級のプルトニウムで直ちに実戦で使用できるような効率的な核爆弾を大量に作ることは困難であると考えられます。

軽水炉の使用済み燃料から抽出されたプルトニウムで核爆発を起したという実験例は米国等にはあるようで、理論的には、それは不可能ではないとされています。その点は貴殿も指摘しておられるとおりです。(もっとも、日本には実際に核爆弾を作った経験を持つ専門家は皆無なので確かなことは言えませんが)。

 仮に原子炉級プルトニウムでも爆弾を作れると仮定として、問題は、核兵器大国である中国やロシアに対して戦略的な実効性をもつ本格的な核兵器体系を日本が実際に構築できるかどうかです。仮に日本政府の最高責任者がある日核武装を決断したとして、広大な国土の中国などと違って、国土狭隘、人口密集した日本で一定期間、一定数の科学者、技術者を動員して極秘裏に核兵器製造作業を行なうことができるとは到底考えられません。NPTやIAEA保障措置協定(追加議定書を含む)の規定だけでなく、日米、日加、日豪等の2国間原子力協力協定の厳格な禁止条項を犯して、さらに日本に年中常駐するIAEA査察官の目をごまかして、そのような作業を実施できるとは全く考えられません。六ヶ所工場にはIAEA査察官も常駐する「六ヶ所保障措置センター」が同じ敷地内に設置されています。どこかで秘密が漏れれば、中国が黙っているはずがなく、(1981年にイスラエルがイラクの原子力施設を爆撃したように)先制攻撃をかけて、これらの作業を粉砕することもあり得るでしょう。

 それよりも問題なのは、日本が核武装した場合の国際政治上のインパクトです。貴論文の指摘を待つまでもなく、日中関係、日韓関係はもとより、東アジアの戦略環境に決定的な悪影響を及ぼすはずです。それによって日本が得るものは全くないと言ってよいでしょう。肝心の日米関係や西側先進国との友好関係も決定的に損なわれるでしょう。第一、米国などがそれを容認するはずがありません。確かに米国内には日本の核武装を容認ないし慫慂するような意見もあるにはありますが、それはごく一部の学者、専門家の少数意見に過ぎないと私は見ています。

 日本国内にも、自前の核武装はともかく、米国との合意に基づいて、米軍の持っている中距離核兵器(巡航ミサイルなど)を貸してもらう、つまり管理権だけを譲ってもらえばいいではないかという考えを持っている軍事専門家もいるようです。しかし、これとても土台無理な議論です。米国が日本に核兵器の管理権(使用権)を譲渡すれば、直ちにNPT第1条の義務違反を構成するからです。

 そんなことをするより、現在のように、日米安全保障条約(日米同盟)に基づき、米国の核抑止力、いわゆる「核の傘」で守ってもらえば、その方が確かだという意見があり、これが政府当局を含め日本の戦略・防衛専門家のほぼ一致した考えです。非核三原則では核兵器の日本領土内への持込みは禁止されていますが、領土外からの核兵器発射は禁止されておりません。現に、日本政府が昨年末閣議決定した「新防衛計画の大綱」では米国の核抑止力への依存を続けることが再確認されています。もっとも、左翼系や反核グループの人々は、この「核の傘」にすら反対していますが、各種世論調査(今夏の朝日新聞の世論調査を含む)によれば日本人の50%以上がこの政策を支持していることになっています。

 つまり、日本は、米国の核抑止力によって日本の安全保障が確保されている限りにおいて、自ら核武装する必要はなく、国民は安心していられるというわけです。ところが、ここで問題なのは、日本人がいくらその気でも、日米同盟関係は未来永劫不変というわけではなく、いずれ「核の傘」の信頼性が揺らいだ時にはどうするのかという問題です。その時には日本も核武装を余儀なくされるだろうという見方は日米双方の専門家の間にあります。3年後にワシントンに民主党政権が生まれ、クリントン時代のように米中関係が緊密になり、「ジャパン・パッシング」になると、その惧れがあるという指摘があります。

 しかし、私は、そのような状況を想定して、今から心配するよりも、日米関係を磐石なものとすることこそ重要であって、そのために何をすべきか、何をすべきでないかを日本人は真剣に考えねばならないと思います。日米同盟は日本にとって一番の命綱であって、これを維持、強化することが日本外交と安全保障政策の基軸であるべきだという意見に私も賛成です。

ただ、しからば、日本はいつまでも米国の「核の傘」の庇護下に安住していてよいのかという点については、私は、やはり被爆国としていつまでも安易に「核の傘」に頼るべきではなく、できるだけ早くそれを必要としない世界を作るために最大限の努力をなすべきであると信じています。その1つの方法として、私が20年来「北東アジア非核兵器地帯」構想を唱え、その実現のために努力していることは貴殿も良くご存知のことと思います。北朝鮮の核問題も未解決な北東アジアの厳しい現状を考えると、決して容易に実現できる構想ではありませんが、これは21世紀の日本とアジアの平和のために我々が敢えて挑戦すべき重要な課題であると信じています。紙幅の制約上、この問題にはこれ以上触れられないので、関心があれば、私がこれまでに発表したいくつかの論文や著書をご覧下さい。

 

<日本は何故再処理をするのか?>

 

さて、日本が自前の核武装をすることはありえないとすれば、貴殿が抱く次の疑問は、核武装しないのなら大量のプルトニウムは不必要のはずなのに、何故日本は多大のコストを払って六ヶ所再処理工場を運転し、プルトニウムを大量に生産しようとするのか、ということでしょう。次にこの点について検討してみます。

優れた国際政治学者であると同時に元来原子力科学者である貴殿には「釈迦に説法」ですが、再処理にはいくつかの目的があります。使用済み燃料のまま永久に貯蔵するとすれば広大な土地を必要とするので、これをまず減容する必要があるとか、ストロンチウム90、セシウム137等の核分裂生成物やマイナーアクチニドなど長寿命の核種を除去するために再処理をする必要がある等ということは今さら指摘するまでもありません。それより、再処理の最大の目的はやはり、使用済み核燃料の中からプルトニウムを取り出し、それを燃料として再利用することを可能にすることでしょう。

日本はエネルギー資源小国で、ウラン燃料もすべて海外から輸入しなければなりませんが、一度輸入したウラン燃料は核燃料サイクルによって再利用できるので、「準国産エネルギー」と考えることができます。従って核燃料サイクル路線は、日本のエネルギー自立にとって必要不可欠なもので、日本の原子力政策は当初からこの路線でやってきました。私自身も、かつて1970年代後半から80年代の初め、米国のカーター政権が原子力政策を大転換し、日本の東海再処理工場の運転や六ヶ所工場の立ち上げに強い難色を示したとき、外務省の初代原子力課長として対米交渉を担当しましたが、そのときの日本側の論法がまさにこのようなエネルギー安全保障論でした。その後2年余にわたって実施された「国際核燃料サイクル評価」(INFCE)会議でも同様の論理を展開しました。以後今日に至るまで、日本はこの路線を堅持しております。

すでにご存知のはずですが、日本の原子力委員会は、昨年以来1年半に及ぶ検討作業の結果、9月末に新しい「原子力政策大綱」をまとめましたが(近く閣議決定の見込み)、その中でも、いろいろのオプションを詳細に検討した結果として、再処理路線をはっきり再確認しております。すなわち、日本は今後も現状の規模(総発電電力量の30〜40%)かそれ以上の原子力発電を維持して行くことが適当であり、そのためには核燃料サイクル技術の確立が急務であるという基本認識です。

ただ、周知のように、その核燃料サイクル政策の要となる高速増殖炉の開発については、原型炉「もんじゅ」が事故(1995年)で10年も運転停止を余儀なくされたこともあり、大幅に遅れており、その代役として出てきたプルサーマル計画も諸々の理由により難航しています。かつて対米交渉のとき、プルトニウム・バランスを説明する上で重要な役割を担った新型転換炉「ふげん」は惜しくも中途で姿を消してしまいました。しかし、最近になって、「もんじゅ」は運転再開に向けて着実に動き始めており、プルサーマル計画も一部の地域で実現の兆しが現れているので、歯車がうまく回転し始めるのもそれほど遠くはないと期待されています。

とはいえ、現実にサイクル路線が立ち遅れ、プルトニウムが溜まっていることは事実です。日本が所有するプルトニウムは昨年末時点で、合計43.1トン(国内で5.7トン、委託先の英仏で37.4トン)に達しております。このほか、再処理を終えていない使用済み燃料などにも110トンあまりが含まれていると推計されています。43.1トンの中には、核分裂を起す能力のあるプルトニウムは29.3トンが含まれているとされています。ちなみに、英仏の分は、当面すべてプルサーマル用のMOX燃料に加工された形で日本に持ち帰るので、それが仮に途中でテロリストに奪取されても、直ちに核兵器へ転用される可能性は非常に少ないとされています。

ただ、いくらMOXの形になっているとしても、実際に使用されないプルトニウムが大量に溜まることは核拡散上望ましくないと考えられるので、かねてから日本政府は「(使用目的のない)余剰プルトニウムを持たない」との方針を国際的に明らかにしており、そのためにも当面プルサーマル計画の早期実現、将来的に高速増殖炉の早期実用化が必要です。

ところで、ここまでの説明は、すでに日本政府や原子力業界から何度も繰り返されたことで、貴殿も十分ご承知だと思います。私は、長年日本の原子力活動を業界とは一歩離れたところから見ていて、若干別の印象を持っております。以下は、全く私個人の意見です。

これまで、日本が再処理を必要とする目的や理由については、上述したとおりの説明が公になされていますが、実際にはそれ以外の、もっとのっぴきならない理由があるように思います。

すなわち、六ヶ所工場を動かさなければならない理由は、莫大な投資をしたからではなく、それをしなければ、日本の原子力発電所の運転に重大な支障が生ずる惧れがあるからです。多くの原子力発電所が使用済み燃料を抱えており、中には貯蔵能力の限界に近づいているものも少なくありません。そこで六ヶ所村に運び込んで再処理する必要があるわけです。もし同工場の運転を中止すれば国と青森県との合意事項が白紙に戻されることになり、すでに搬入済みの使用済み燃料も各発電所へ返却されねばなりません。そうなると、日本の原子力発電所は次々に操業停止に追い込まれ、大変な事態になります。

実は、この工場(年間処理能力800トン)がフル稼働してもなお不足するほどの使用済み燃料が毎年出てくるので、いずれ将来第2再処理工場の建設が必要になります。代案として、使用済み燃料を別の場所にまとめて一時的に貯蔵する計画も進められていますが、それもあくまでも中間的な解決方法で、一定期間後に運び出して再処理することに変わりありません。一時貯蔵所の建設にしても地元住民との関係もあるので、それほど簡単な話ではありません。

一方で日本の電力会社は電力自由化の荒波の中で厳しい経営環境に立たされています。このような状況で、電力経営者が、何を好き好んでプルトニウムを製造する目的のために苦労して再処理工場を動かすでしょうか? まして、将来の日本の核武装に備えてプルトニウムを余計に溜め込もうなどと考えるでしょうか? 現状がそれほど甘いものではないことは明白です。

原子力発電は日本のエネルギー安全保障上(温暖化対策上も)必要不可欠であり、それを続ける限りどうしても使用済み燃料は発生するので、それを再処理してリサイクルする――これが日本の確立した原子力政策の基本である以上、六ヶ所工場を放棄することは不可能です。

 

<六ヶ所工場を止めても核拡散は解決しない>

 

以上述べたことからも、日本が自前の核兵器製造を狙って再処理を強行し、プルトニウムを溜め込もうとしているのではないことは明らかになったと思います。事実は全く逆で、核武装などの野心は毫もないのに、再処理をしなければならない切実な事情があることが理解できたのではないかと思います。

しかし、にもかかわらず、前述の通り、一部の政治家や言論人たちによる日本核武装必要論が後を絶たないことも確かです。彼らの中には、仮に実際に核武装しなくても、必要に迫られたらいつでも核兵器を製造する能力や材料を持っているぞということを対外的に示しておくことが戦略的に重要だ、外国がそう勘ぐっているなら、勝手にそう思わせておいた方が得策だと公言する人もいます。この人々の多くは、タカ派といわれる論客たちですが、彼らが、最近とみに険悪化している対中関係を意識していることは明らかです。彼らを刺激、挑発するような言動が中国側からしばしば発せられているからです。ごく最近も、中国人民解放軍の現役の将官が「日本を核攻撃する準備はいつでもできている」などと放言したと伝えられていますし、ピョンヤンからも「日本が米国に同調して経済制裁を発動したら東京は火の海になる」などという物騒な発言が時々聞こえてきます。日本人はこうした挑発的、恫喝的言辞に惑わされてはいけないと私は国内向けにいつも力説しています。

と同時に、貴殿たち外国の専門家諸氏も、日本の再処理政策が他国を、とりわけアジア諸国を刺激し、核拡散を助長する、だから六ヶ所工場を廃棄せよ、そうすれば万事円満に解決するかのように言うことは慎んでもらいたいと思います。日本が再処理をしようとしまいと、アジアの核拡散はいろいろな形で進行しています。それは必ずしもNPT体制が形骸化してしまったからではありません。NPTの有無に関わらず、各国は自国の安全保障を真剣に考えており、そういう真面目な国は軽々に核武装を選択しません。例えば、ASEANを中心とする東南アジアの国々は、核兵器で自己の安全を図るのではなく、域内の信頼性醸成により集団安全保障体制の道を確実に歩んでいます。東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約、1995年)がはっきりそれを証明しています。

問題は北朝鮮で、これはあくまでも別個の、極めて例外的な問題であり、現在の6ヵ国協議の枠組みで最後まで粘り強く交渉して抜本的な解決を図るべきものです。日本が六ヶ所工場を廃棄したからといって直ちに解決するような性質の問題ではありません。

それでも、「日本は我々と同じ非核兵器国なのに、再処理も濃縮も自由に行なっている、不公平ではないか」という批判が近隣国からしばしば聞こえてきますが、これも現実の国際政治関係を反映したものであって、日本だけの責任ではなく、日本が核燃料サイクル路線を断念すべき理由にはなりません。むしろ、韓国(や台湾)の原子力活動の健全な発展のために日米が一緒に知恵を出し、協力する姿勢が必要です。北朝鮮についても、核兵器問題が完全に解決した暁には、同様の配慮が必要になるかもしれません。北朝鮮に対する軽水炉供与問題も、そのような長期的な文脈の中で考えられるべきだと私は思っています。

 更に言えば、日本のように原子力発電や核燃料サイクル活動をしたいという国は、その前提として、日本のように透明性を高め、誠実に国際査察を受け入れ、非核政策に徹するべきです。日本が国内のあらゆる原子力活動に対して、とりわけ再処理活動に対してどれほど厳しい査察を受け入れているか、また、日本がこれまでIAEAの査察技術の改善向上にどれだけ積極的に協力してきたかは、貴殿もご存じないはずはないと思います。それは決して手前味噌の話ではなくて、IAEA自身が認めているところで、昨年日本が「統合保障措置」(integrated safeguards)の適用国として正式に承認されたこともその1つの証明です。日本は過去の実績に満足することなく、今後も国際査察制度の改善と核不拡散体制の強化に尽力すべきであり、実際にそのような努力を地道に続けていることは言うまでもありません。このことも是非十分ご理解願いたいと思います。

 ただし、いつまでも不言実行だけでは効果がないので、日本もかつてカーター大統領が提唱したINFCEのような壮大なスタイルで、21世紀における原子力平和利用と核不拡散のあり方を検討するための国際プロジェクトを提唱し、自ら率先して推進するべきではないかと考えております。そして、その構想をアジアを中心に推進するためには、52年前のアイゼンハワー大統領の構想に倣って「アジアの平和と繁栄のための原子力」(Atoms for Asian Peace & Prosperity=AAPP)という形ではっきり打ち出すべきである、さらに、その延長線上で「アジアトム」(Asiatom=アジア原子力協力機構)を創設すべきであるというのが私の持論です。

つまり、NPTにしても、目下議論されているエルバラダイIAEA事務局長やブッシュ大統領の国際核管理構想にしても、これをするな、あれをするなという禁止、規制面だけが前面出でているので、東アジアで真面目に原子力平和利用を考えている国々にはあまり魅力が感じられず、彼らの協力を得にくくしています。それよりアジア諸国のエネルギー安全保障と政治的安全保障の両方に資するような、積極的な目的を持った構想を打ち出すべきで、回り道のようでも、それが実効性のある核不拡散体制の構築への近道であると考えます。どうかそのような構想の実現に向かって貴殿にも大いに知恵を出していただければ誠に幸いです。

 

 

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筆者紹介:

元キャリア外交官、初代外務省原子力課長、外務参事官、日本国際問題研究所研究局長、アジア太平洋協力会議国内委員会事務局長、国連環境計画(UNEP)アジア太平洋地域代表、東海大学教授(国際政治学担当)などを歴任。現在は外交評論家、エネルギー戦略研究会会長、EEE会議代表など。著書は「日本の核 ・アジアの核」(朝日新聞、1997年)ほか。ハーバード大学法科大学院卒業(LLM=1966 国際法専攻)