先端科学技術開発と裁判制度

                           金子 熊夫

  高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の設置許可を無効とした名古屋高裁金沢支部の判決については、すでに三月末、国(経済産業大臣)から最高裁に上告受理申立理由書が提出されており、また、本欄でも複数の専門家が技術的な観点から種々の批判的意見を書いているので、今さら門外漢が発言するまでもないと思うが、敢えて一つだけ私見を述べておきたい。

 周知のように、この高裁判決には二つの大きな問題点があって、一つは法律上の問題、もう一つは技術的な問題であるが、私がこだわるのは勿論前者についてである。

 ただし、同判決が、伊方原発訴訟における最高裁の判例(一九九二年)を無視した不当なものであること等は、すでに多くの識者によって指摘されている通りなので、ここでは省略する。

 問題は、もっと根本的なところにあるのではないかと思う。そもそも、高速増殖炉開発のような高度の先端科学技術上の問題点についての判断を司法裁判所に委ねることが適当かどうかという疑問である。

 言うまでもなく日本国憲法の下では、特別裁判所の設置は認められておらず、また、行政機関による終審裁判は禁止されている(憲法第七六条)。しかし、例えば海難事故については海難審判庁での審判が認められており、航空機事故については、航空機事故調査委員会が広範な権限を与えられている。

もちろん、これらの準司法的な行政機関の裁決は終審ではないから、例えば、もし高等海難審判庁の裁決に不満があれば、東京高裁へ裁決取消しの訴えを提起できる仕組みになっている。

 米国では、例えば宇宙開発関係の重大事故(スペース・シャトル事故など)については特別の調査委員会が大幅な権限を与えられており、原子力事故に関しては、高度の独立性を持つ原子力規制委員会が存在する。

 今日、科学技術の進歩発展は誠に目まぐるしいばかりであるが、それに比例して、こうした先端的分野での事故やトラブルの因果関係も複雑化しており、これを適切に判断するのは益々困難になっている。

原子力の分野でみると、五〇年近い研究開発の実績を持ち、全国で五二基が稼動している軽水炉の場合はともかく、まだ研究開発途上にあり、国内でも特定の機関や専門家以外はあまり関与したことのない高速増殖炉の場合は、判断が一層難しいのは当然である。

 まして通常の裁判業務に携わる裁判官は、社会科学系の教育訓練は受けていても、科学技術問題には必ずしも十分な素養があるとは考えられない。もちろん、今回の名古屋高裁の担当裁判官たちが誠意と熱意を持って勉強し裁判に当たったであろうことは推察できるが、そうした個人的な努力にもおのずから限度があるのではないか。裁判の過程で双方から技術的な説明を十分聴取したにしても、果たしてどれだけ正確に実態を把握した上で司法判断を下したか疑問なしとしない。

 それでは、代案としてどのような仕組みが必要か、あるいは可能かという点については、軽々には論じられないが、少なくとも、原子力の科学技術面、とりわけ安全面を担当する原子力安全委員会がもっと中心的な役割を果たせるような仕組みが必要である。ただし、そのためには、現在のような安全委員会では不十分で、例えば航空機事故調査委員会や公正取引委員会のような高度の独立性と独自の調査・判断能力を持ったものに改善して行く必要がある。それはそれで容易なことではないだろうが、失われた国民の信頼を取り戻すためには、その程度の荒療治が要るのではないか。

 

 

   (電気新聞・時評「ウェーブ」)

        2003. 5.20執筆