読売新聞「論点」 (2000年3月28日掲載)

       エネルギー原子力教育の必要性

                                   金子熊夫 東海大学平和戦略国際研究所教授

 昨秋の東海村臨界事故を契機に、原子力問題に関する論議が盛んだが、その中で日頃見落とされている一つの重要な点を指摘しておきたい。

 同事故以後、政府や関係業界は、「安全性確保を大前提として原子力発電を引き続き推進して行く」との基本方針の下に、種々の安全対策や防災対策を進めている。それらは当面必要なことであるのは確かだが、いずれも対症療法的な彌縫策の域を出ないように見える。

 今回のJCO社のお粗末さは論外として、一般に原子力関連業務がいかに精密に機械化されていても、最後に頼りになるのは人間の判断力である以上、最も肝心なことは、原子力に携わる人々の認識と意識の抜本的な改革であり、そのための教育、訓練の徹底であるはずだ。

 しかるに、未来の原子力産業を担うべき科学者や技術者の養成を使命とする大学教育の現場に目を向けると、現実はきわめて悲観的である。近年加速している学生の「理工科離れ」現象に加えて、相次ぐ事故や不祥事ですっかり人気を失った結果、全国の大学の工学部や理学部で原子力を専攻する学生が激減している。

 わずか数年前までは「原子力」とか「核」と明示した学科は全国で12,3存在していたが、現状に対する危機感から、7年前に東大が「原子力工学科」を「システム量子工学科」と改名したのを皮切りに、次々と看板を塗り替えてしまった。そのことの是非は別にして(門外漢の筆者には論評の限りではないが)、その波及効果は無視できず、今後原子力専門教育の質量両面でのレベル低下に繋がる恐れがある。このことは、わが国が予見し得る将来ーおそらく最低でも30ないし50年間ー原子力発電を継続するとして、その間一定水準の専門家や技術者を常時一定数確保しておかねばならない点を考えると、まさに由々しい問題と言わざるを得ない。わが国が早晩原子力発電から完全に撤退すると仮定しても、従来の原発活動に起因する諸問題とくに放射性廃棄物処理等の解決には相当長期間を要するので、人材確保の必要性は残る。

 しかし、筆者が憂慮するのは、少数の理工系学生に対する専門教育だけではない。およそ民主主義社会においては、一般市民の意向が最終的には国の政策を左右するが、その一般市民の予備軍である一般学生、とりわけ大学人口の大半を占める文系学生が、エネルギー・原子力問題についてあまりにも無知、無関心であるということである。

 原因は明かで、彼等がバランスのとれたエネルギー教育を大学で受けていないからに他ならない。エネルギー問題は、地球環境問題と同様、自然科学と社会・人文科学に跨がる典型的な学際領域であり、旧来の学部中心の教育システムになじまないため、一般教育としてはほとんど全く行われていないのが現状だ。高校以下の学校教育でも、状況は大差ないようである。及ばずながら筆者は、この点を反省し、有志の同僚達と共に学内で、主として文系学生を対象とした「エネルギーと環境」科目を講義しているが、全国の大学で類似の教育が実施されるよう強く期待したい。

 エネルギー教育の基本は、日本は、21世紀を迎えようとする今も、昔と同じく、エネルギー資源小国、消費大国であり、しかも化石燃料の海外(とくに中東)依存度が、他の先進国と比較して異常に高く、安全保障上不安定であるという客観的事実を徹底的に自覚することである。そのことと、地球温暖化問題等を考えれば、当面の選択肢としては、好むと好まざるとを問わず、現在すでに総発電量の35%を占める原子力に今後も大きく依存するほかないことは明瞭である。もちろん、その原子力については安全性確保が大前提であり、また、太陽光、風力等の自然エネルギーや燃料電池等の早期実用化と、ライフスタイルの改善等による省エネ化に一層努力すべきことはいうまでもない。

 要は、各種のエネルギー源の最適な組み合わせ、いわゆる「ベスト・ミックス」により、環境にも合致した安定的なエネルギー政策を確立することであり、その中で原子力が当面ー少なくとも数十年間はー不可欠の柱の一つであるという現実を国民一人一人が直視し、再確認することである。そして、そのためには政治家をはじめ全国民が、21世紀のエネルギー政策のあり方について、日頃からもっと真剣に議論を深める姿勢が何よりも必要である。

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元外交官。国際政治学。日本原子力学会社会環境部会運営委員。著書は「日本の核・アジアの核」等。63才。