Subject: EEE会議(Re:「もんじゅ」判決とその背景など)
Date: Thu, 6 Feb 2003 21:38:11 +0900
From: "kkaneko" <kkaneko@eagle.ocn.ne.jp>

各位

「もんじゅ」判決と、それが提起する諸々の問題についての古川和男先生の
メール(昨日配信)に関連して、今度は、澤田哲生先生(東工大)からも大変厳し
いながら傾聴すべきコメントを頂きました。 このコメントの中で、「ふげん」や
「常陽」に触れた部分が小生にとってはとくに示唆的でした。 皆様は両先生の
ご意見についてどうお考えでしょうか? 「もんじゅ」には、JNC(核燃料サイク

開発機構)だけでなく、日本の原子力全体の将来がかかっていると思います。
その点に思いを致しつつ、この機会にぜひ忌憚のない、ホンネの議論をお願い
いたします。 匿名(ハンドルネーム)でもOKです。
金子熊夫

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古川先生の指摘されていることはもっともかと思います。
JNCの方々は個々人をとってみれば有能な方々ばかりでありその専門能力は素晴
らしいと思いますし、個人的にも魅力的な方が少なからずいらっしゃると思います。
しかし、JNCとしてあるときはいわば単なる技術者集団になりがちなのかもしれま
せん。大衆化とでもいえばいいのか。
恐らく問題はリーダーがいるかどうか、技術者としての独立心があるか、若い層が元
気かなどだと思います。勿論法律の枠がありますので、こうはいってもなかなか難し
いとは思いますが。

とにかく個々人が腹の底には独立心のようなものをもち、時機におうじて組織の壁を
うち破るほどの精神が発現されて来ない限りは、これまでの体制の殻からでられず、
世間から見れば結局は、もんじゅのナトリウム漏れの時の動燃のイメージがなかなか
払拭できないのではないかと思います。
世間の見方は、ふげん、ナトリウム漏れ、その後の東海のことなどを経てじわじわと
浸透してきたのかもしれません。
多少の上層部の入れ替えや、名称などを変えても、人が変わらなければ実質何も変わ
らないことは世間は先刻承知のことかと思います。

今次の判決は穿った見方かもしれませんが、ある種の退場勧告にも受け取れなくもあ
りません。もっとも、その具体的矛先は今回に限れば、日本の原子炉設置許認可にお
ける安全審査体制にあるようですし、これはひとつJNCの問題ではなく、関連する
産官学すべがシェアしないといけないのではないかと思います。
もっとも判決文についていえば、それを読むにつけそこには反対派の主張の鸚鵡返し
のような箇所が少なくなく、非常に滅入るものがあります。

ところで今思えば、ふげんのときにすでにそうでしたが、いかにも“ふげん”ととも
に歩んできたとおぼしき中堅以上の技術者が、ふげんが目の前で葬り去られようとす
るとき、結局どのような立場からもどのような言動もしめさなかったように思いま
す。
電事連の判断に対してなんら主張ないしはリアクションがなされなかったように外か
らは見えました。ふげんにかけてきた技術者の矜持はないのかと思わざるを得ないと
ころでした。
もんじゅの場合は、2次系ナトリウム鞘管の流体−構造材練成振動やナトリウム漏洩

火災などの詳細計算に基づく分析をもって壊れた理由や燃焼形態・温度が分かりまし
たなどという報告が多くなされてきましたが、そういうようなアクティビティーだけ
では埒があかない状況に追い込まれていることに気がつくべきなのかもしれません。
ナトリウム漏洩・火災直後の諸々の対応に対しては古川コメントが言葉を尽くしてい
ると思いますが、その後の対応も実は世間を納得させるものになっていないのかもし
れません。

それにしても分からないのは、常陽があれほどうまく稼働しているのに、なぜ2次系
をつけただけのもんじゅがあのような2次系のささいなことで躓いてしまったのかで
す。ここが分かりません。JNCの人からは練成振動による分析の説明は学会など聞
きましたが、常陽(これは勿論2次系はありませんが)の無事ともんじゅの有事の差
のそもそもの根源についての分析をあまり耳にしたことがないように思います。
(内部的には検討がなされたのかもしれませんが)。

しかし、くりかえしになりますが判決主文をよむにつけ怒りのようなものがこみ上げ
てきました。裁判官の記述のなかに推論のようなものが散見されます。ただし推論を
こえて、裁判官の書いたものが実は正しいのであれば、あのような判決になっても致
し方ないとも思えます。

世の中は、少し昔のことですが諫早湾の海門の件、最近の高速道路整備のこと、地方
では脱ダムなどと、要するに、政府のやってきたことを覆すのが一つの流行のように
なっていますが、そんな心理がこのもんじゅの場合にも働いていたのではないかと
思いたくなるほどです。

その背景にはこの国をどうするのかというしっかりしたグランド構想がないように
思います。裁判官は単なる法の番人ですからそんな理想論はどうでもいいのでしょ
うが。
もっとも、裁判官の指摘している安全審査体制の的確性には確かに問題があるかも知
れません。原子力安全委員会や安全審査をする人々にさらなる中立性とより専門性が
求められるのは事実かもしれません。
安全・保安院は、経産省の子飼いのような枠を出てもっと独立性の強い組織になるべ
きなのではないでしょうか。
55年体制がなくなった今、為にする反対ではない真っ当な批判と懐疑的精神が活か
されるようなシステムが作られないと同様のことが繰り返されるのではないでしょう
か。

以上雑感まで。

澤田哲生