Subject: EEE会議(イラク危機:フセイン王朝の命運・・・)
Date: Wed, 19 Mar 2003 10:21:37 +0900
From: "kkaneko" <kkaneko@eagle.ocn.ne.jp>

各位殿

いよいよ米英のイラク攻撃の開始が秒読み段階に入ってきたようです。
あと20数時間以内にサダム・フセイン一家が国外脱出する可能性は無い
と見られ、ことによるとフセイン王朝の命運も今やこれまで、ということに
なるのかもしれません。この機会に改めて、サダム・フセイン大統領とその
一族の簡単な紹介を、いつもの国際ジャーナリスト(石川純一氏)の解説で。 
ご参考まで。
金子熊夫
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◆フセイン王朝の命運やいかに。。。◆
                                   
(2003/03/19)


 イラクのサダム・フセイン王朝が崩壊の瀬戸際に立たされている。米英軍と
の開戦が秒読み段階に入ったからだ。1937年4月28日、首都バグダッド
の北約100キロのチクリット村で生まれたフセイン大統領。同村を故郷とす
るアラブの英雄サラディンは1187年、90年にわたり十字軍の支配下にあ
ったエルサレムを奪回したが、果たしてフセイン大統領は。。。

 フセインが権力の階段を上り始めたのは1956年のスエズ動乱(第2次中
東戦争)でナセル・エジプト大統領を支持し、バース党(アラブ復興社会党)
に入党した時。1958年のイラク革命を経て1959年には同党のテロ要員
としてカセム首相の暗殺未遂事件を起こし、エジプトに亡命。

 1963年に帰国し、1968年に同じチクリット村出身のバクル将軍が引
き起こしたバース党穏健派クーデターで重要な役割を果たし、バクル将軍によ
り革命指導評議会(RCC)副議長に抜擢されている。副議長として手がけた
のは国内治安組織網の整備と反対派の粛清。

 1979年にバクル大統領が健康問題を理由に引退を表明し、RCC副議長
だったフセインが後継大統領に就任。その後反対派のさらなる粛正を経て、R
CC議長、国軍最高司令官の座を手中に収めてイラクの実権を名実ともに握る
ことになる。

 長男のウダイについてははかばかしくない評判ばかり。二男のクサイは共和
国防衛隊の実権を掌握し。フセインの長女の婿であったフセイン・カメル中将
は、イラクのミサイル開発や長距離砲の開発責任者だったが、フセイン大統領
に反旗を翻してヨルダンに亡命。その後帰国したが殺されている。

 フセイン大統領の実父の家系アルマジド家、実母の家系トラルファー家の両
家出身者が「フセインのインナーサークル」を形成、アルマジド家ではハッサ
ン・アルマジドが治安局長、トラルファー家からは国防相も担ったアドナン・
ハラッラー。加えて義父の家系イブラヒム家からはバルサン・イブラヒムが諜
報責任者として暗躍中。

 ブッシュ米政権は、こういった「フセインのインナーサークル」の連中を戦
犯リストに載せるとともに、先のブッシュ大統領の最後通告で48時間内の亡
命を要求したわけだが。。。(了)

石川純一(文責)

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