Subject: EEE会議(日本の原子力の黎明期)
Date: Sat, 26 Apr 2003 01:11:16 +0900
From: "kkaneko" <kkaneko@eagle.ocn.ne.jp>

各位殿

度々申し上げますように、今年は、アイゼンハワー大統領による国連総会演説「平和
のための原子力」(Atoms for Peace: 1953年12月8日)からちょうど50周年の節目の
年です。今でこそ不人気をかこっていますが、原子力は、40−50年前は日本でも国民
的に熱烈に歓迎され、期待されたものです。つい先日も、手塚治虫の「鉄腕アトム」
の誕生日(2003年4月7日)を祝うパレードが銀座でもあったようですが、これも、あ
の時代を象徴する現象の1つと言えましょう。

実は、たまたまその翌日(4月8日)、ローレンス・リバーモア国立研究所(LLNL)主
催の"Atoms for Peace After 50 Years"国際会議に出席した小生は、冒頭セッション
で、このニューズを紹介しつつ、日本の原子力が歩んだ「栄光と苦悩の50年」につい
て演説を行いましたところ、米国の連中も皆感じ入ったような顔をして聴いていまし
た。

それにしても、驚くべきことは、現在の若い日本人たちが、この鉄腕「アトム」が
元々原子力を意味する名前であったことや彼の弟が「ウラン」、妹が「コバルト」で
あったことなどすっかり忘れ、従ってこの名作アニメがどういう時代状況の中で生み
出されたものであるかを全く理解していないように見えることです。つまり彼らの頭
の中では鉄腕アトムと原子力が結びついていないということで、ここにも大きなパー
セプション・ギャップを感じます。

我々は、単なるノスタルジアではなく、もう一度黎明期の日本の原子力を取り巻く国
内状況を想起し、その中から、21世紀における原子力再生の手がかりを探るべきでは
ないでしょうか。そういう趣旨で、以下、古い資料ファイル(提供者はJNCの小原
氏)を紐解きつつ、春宵のひと時をどうぞ。
金子熊夫

***********************************************


古いはなしですが、当時の“日本の原子力開発黎明期”に開催された「原子力平和利
用博
覧会」に関する資料を幾つかご紹介します。(JNC 小原)

○ 「原子力平和利用博覧会」(写真とポスター)
  (原子力開発三十年史編集員会編『原子力開発三十年史』(原子力文化振興財
団、昭
和61年10月))

 “写真でみる30年の歩み”に、「『原子力平和利用博覧会』が東京で開催され、
長蛇
の列となる」のキャプションとともに、その写真とポスターが表示されている。

○ 「原子力平和利用博覧会」に関する映画フィルム
  (原子力委員会月報、第3巻第6号(1958年6月)43頁
 
 20.平和の力 
    1955年に行われた“原子力平和利用博覧会”の実況。[16mm, 35mm, 米国(日
本語
版、英語版) 色彩2巻(18分) USIS 593 日本国内製作1956年封切]

○ 読売新聞社及び開催地新聞社と博覧会
 (津金沢聡広編著『戦後日本のメディア・イベント:1945−1960』(世界思想社、
2002
年3月))

 [表12−1] 原子力平和利用博覧会の開催地等(会期・日数・主催新聞社・入場者
数)
  ・日比谷公園(東京) 1955年11月1日ー12月12日(42日間)
    読売新聞社主催 367,669人
  ・愛知県美術館(名古屋) 1956年1月1日ー1月24日(24日間)
    中部日本新聞社 279,067人
  ・京都市美術館(京都) 1956年2月12日ー3月4日(22日間)
    朝日新聞社大阪本社 16万人超
  ・大阪アサヒ・アリーナ(大阪) 1956年3月25日ー5月6日(43日間)
    朝日新聞社大阪本社 約20万人
  ・広島市平和記念公園(広島) 1956年5月27日ー6月17日(22日間)
    中国新聞社 109,500人
  ・スポーツセンター(福岡) 1956年7月6日ー7月29日(24日間)
    西日本新聞社 16万人余
  ・札幌中島スポーツセンター(札幌) 1956年8月26日ー9月17日(23日間)
    北海道新聞社 215,716人
  ・仙台市レジャーセンター(仙台) 1956年10月14日ー11月11日(29日間)
    河北新報社 173,068人
  ・水戸総合体育館(水戸) 1957年1月1日ー2月5日(36日間)
    いはらき新聞社 227,532人
  ・新県庁舎(岡山) 1957年3月20日ー5月10日(52日間)
    (山陽新聞社) (約80万人)
  ・高岡古城公園(高岡) 1957年6月14日ー8月18日(65日間)
    読売新聞社・北日本新聞社・北国新聞社・福井新聞社 30万人超
 (注)岡山では、岡山産業文化大博覧会の中の原子力平和利用館として開催され、
山陽
新聞社は主催ではなく後援。入場者数は、岡山産業文化大博覧会全体のもの。

○ 原子力平和利用博覧会(日比谷会場)の展示の内容
   (津金沢聡広編著『戦後日本のメディア・イベント:1945−1960』(世界思想
社、
2002年3月))

 展示は、一五部門から構成されている。第一部は、「原子科学の先覚者」として一
〇名
の科学者を紹介したもの。その一人は湯川秀樹だった。第二部は映写室で「原子の基
礎知
識および原子力平和利用に関する映画」の上映。第三部は、原子炉模型やパネル展示
によ
る「原子力の手引」、第四部と第五部には、それぞれ「黒鉛原子炉」の模型と「電光
式原
子核連鎖反応解説装置」の展示、第六部は「アイソトープの取扱い」として機器類の

示、第七部は「モデル実験室」である。第八部から第一一分は、それぞれ「工業面の
アイ
ソトープ利用」「医学面のアイソトープ利用」「農業面のアイソトープ利用」「食料

存」と題して、各種模型やパネルが展示された。第一二部は「教育と研究」だが、C
P5
型原子炉の実物大模型、放射能を帯びた物質を遠くから扱うためのマジックハンドな
ど多
彩な内容。第一三部は「動力」で「原子力列車と原子力発電所」のジオラマや「原子
力商
船」や「原子力飛行機」の模型など。第一四部は「ウラン鉱業室」。そして、第一五
部の
「読書室」には原子力関係の文献が納められた。このように、原子科学の歴史に始ま
り、
原子力の原理の説明、原子炉や各種の装置の展示を経て、各分野へのアイソトープの
応用
へ向かい、最後に原子力に支えられた未来像をみせた。展示物の中でとくに注目を集
めた
のは、黒鉛原子炉やCP5がた原子炉の模型であり、また、「若い女性がテレビを見
て操
作するマジック・ハンド」は子どもの興味をひいたという。展示の方法も、実物あ
り、模
型あり、あるいは映画ありと工夫が凝らされ、「とにかく見た目に楽しめるうえに素
人で
も帰りにはひとかどの原子力通という結論がでるように――というのがこの博覧会の
ネラ
イ」であった。
・・・
 博覧会は一二月一二日に四二日間の会期を終えたが、総入場者数は、三六万七六六
九名
にもなった。このうち、有料一般が十八万七九三名、学生九万四八六五名、団体一般
が七
七一七名、団体学生が七万四七三四名、それに招待入場者が九五六〇名だった。

○ 東京電力技術者(池亀亮)と原子力平和利用博覧会
  (竹林旬『青の群像ー原子力発電草創のころー』(日本電気協会新聞部、2001年
3
月))
  
 (水路式の)切明発電所の初送電祝いの宴もたけなわという時、天幕の下に建設所次
長の
中村乙八が姿を見せた。
 「池亀君ちょっと」
 外に連れ出された池亀亮(のち副社長)は入社4年目。現地では最若手の電気技師
だっ
た。
 採用と同時に信濃川電力所に配属された池亀は、同じ水系の下船渡発電所(5千k
W)
で初めて建設を経験した。切明は二度目の建設現場になる。
 「いま電話があってね。あんたは今度、本店に移動。原子力発電課だそうだ」
 ・・・
 「またぁ、喜ばせようと思って・・・。からかわないで下さいよ」
 「いや、本当だ。これからは原子力の時代と言うじゃないか。まあ、しっかりやり
なさ
い」
 前年の原子力予算成立に始まる国内の原子力ブームは、一気に大衆化の様相を見せ
始め
ていた。
 「新聞は世界平和の原子力」
 今昔の感がある、この秋の新聞週間の標語が、当時の雰囲気を物語っている。
 特に正力松太郎率いる読売新聞は、大々的なキャンペーンに乗り出していた。
 その一つとして1955(昭和30)年5月に「アメリカ原子力平和利用使節団」と称し
て、原
子力潜水艦二番艦を造ったゼネラル・ダイナミックス社のホプキンス会長兼社長、
ウェル
シュ同副社長、サイクロトンの発明によりノーベル物理学賞を受賞したローレンス博
士、
さらに元米国原子力委員会(AEC)動力炉研究部長で当時はチェースマンハッタン
銀行
に転じていたハフスタッド博士の4人を招いている。
 この一行による「原子力平和利用大講演会」と銘打ったイベントは、会場の東京・
日比
谷公会堂を満員の観衆で埋め尽くし、あふれた人たちのために街頭テレビで場外にも
流す
念の入れようだった。
 11月には同じく日比谷公園で「原子力平和利用博覧会」が読売、米国国務省海外調
査庁
との共催で開幕する。
 約40日間の会期中、集めた入場者数は主催者発表で36万人に上り、こののち全国巡
回で
も大勢の観客を集めた。高さ8メートルの黒鉛減速型原子炉実物大模型「日比谷パイ
ル」
や、遠隔操作用のマジックハンド、放射性物質を使った簡単な実験などを見せる一方
で、
原子力発電所の周囲を原子力列車が走り、原子力飛行機が飛ぶという、いまとなって
は荒
唐無稽の模型も展示され、原子力の光と影、現実と空想が混然一体となっていた。
 こうした動きを聞き及んではいたものの、「秘境」に篭もっている身には、外界の
他人
事。 まさかわが身に及ぶこととは夢にも思っていなかった池亀は、11月の営業運
転入
りを見ることなく慌ただしく切明(水力発電所)を離れ、上越線の汽車に乗った。

○ 原子力平和利用茨城博覧会
 (『「茨城新聞」創刊100周年記念 写真記録茨城20世紀』(茨城新聞))

 原子力博覧会 昭和31年(1956)4月、東海村へ原子力研究所を設置するこ
とが
決定され、同年8月から研究施設の建設工事が開始された。建設工事を進める一方
で、原
子力の平和利用に関する知識の普及活動のために「原子力平和利用茨城博覧会」が開
催さ
れた。博覧会は、県や原研などの6団体の共催で、32年1月1日から2月5日ま
で、水
戸市堀原の総合体育館を本会場に、東海村の原研を第2会場にして行われた。展示資
料は
アメリカから提供されたものが大部分を占めた。博覧会への入場者は、県民の1割を
越え
る22万人に達した。「原子の火」「夢のエネルギー」といった言葉が一世を風靡
し、原
子力関係の本がよく売れた。また昭和33年には、水戸市に県立原子力館が開館し、
原子
力関係の資料が展示された。この原子力館は、42年からは水戸三高の体育館として
使わ
れた。
 (写真6件:水戸駅前の博覧会の広告塔、アイソトープの農業利用に関する説明、
東海
村の第二会場の歓迎アーチ、会場正面入り口と案内役のミスアトム、県立原子力館内
に展
示されたCP−5模型、県立原子力館外観)

○ 原子力平和利用茨城大博覧会と県立原子力館
 (茨城県環境局原子力安全対策課編『原子力の歩み』(昭和58年2月)

 本件における本格的な原子力知識の普及啓発事業は、昭和32年「原子力平和利用
茨城
大博覧会」の開催ではじまった。
 31年4月6日、原子力委員会において原子力研究所の原子炉敷地が東海村に決定
され
ると、本県は、即日、「茨城県原子力研究施設協力本部」を設置し、受入れ体勢の確
立を
図った。
 同本部は、31年5月19日開庁された科学技術庁、原子力研究所及び在日米国大
使館
の後援を受け、県、県教育委員会、水戸市及び原子力関連の演説主張でオピニオン
リー
ダーであった後藤武男氏が社長を務める茨城新聞社の主催で、32年1月1日から3
6日
間、水戸市の総合体育館で「原子力平和利用茨城大博覧会」を開催し、県民の原子力
平和
利用に関する知識の普及と意識の高揚を図った。
 この博覧会に使用された展示品の殆どについては、本県が、更に継続的に県民に原
子力
知識の普及啓発を実施するのに有効利用するため、寄贈或いは寄託を受けて引継い
だ。
 32年6月29日、本県は、自衛隊の協力等によって、当時米国空軍が使用する水
戸対
地射爆撃場内の旧陸軍施設建物の鉄骨を材料にして、水戸市三の丸に「県立原子力
館」の
建設に着手した。原子力館は鉄骨造り2階建、延面積2,591平方メートル、うち展示
室面
積1,650平方メートルのほか映写室や図書室などが配置された。総工費は、37,450千

で、前述の展示品などで整備され、わが国で唯一つの原子力博物館として33年4月
1日
開館した。
 ・・・
 原子力館の業務は、後述する(株)日本原子力普及センターへ、41年5月に承継
吸収
され、原子力施設の立地する東海村の村松へ移動することになるが、この間40万人
近い
見学者を迎えることができた。そして、原子力館の建物は、県立水戸第三高等学校に
引継
がれ、現在も体育館として使用されている。

○ 東海村民への呼びかけ
 
 ・原子力平和利用博覧会 来年一月一日から水戸市に開催さる
  (東海村報、第18号、昭和31年10月25日)
  米国大使館と原研や県その他の共同主催で、米国より送られた莫大な資料によ
り、来
年一月一日から二月五日まで、水戸市、県総合体育館に於て原子力平和利用茨城博覧
会が
開催いたされます。次号に詳記の見込みですが、特に本村の皆様には関係深い催しな

で、どうぞご期待ください。

 ・みんなで見よう 原子力博覧会
  (東海村報、第19号、昭和31年11月26日)

  [趣旨]
殊に本県民としては、東海村に日本原子力研究所が建設され東洋一の原子
力セ
ンターとして世界の脚光を浴びている現在、原子力に対する正しい知識を得るに絶好
の機
会であります。
 これは、今回の原子力博覧会に関する、本県民への呼びかけの一部です。くり返し
てお
読みください。
 とりわけ、東海村民にはどうしても無関心では済まされない原子力の問題です。県
では
莫大な経費をかけ、特に米国大使館の援助を得て、きわめて大規模な『原子力平和利
用博
覧会』を開催することになりました。
 むづかしい原子力の理論や発電、農業、医学、工業などの平和利用について、小学
生で
もわかるように説明してくれます。実物の場合よりかえってわかり易いでしょう。
  [会場及期日]
    会場。水戸市県総合グランドで、水戸駅から直通の電車、バスが頻繁に出ま
す。
    日時=一月一日から二月五日まで。毎日午前九時から午后四時迄
  [入場料]
    大人=前売券、八〇円(当日売一〇〇円)どこのたばこ屋でも売ります。
    小中学生=五〇円、団体なら一人三〇円づつ。
    どうぞ村内の皆様には、この機会を逃すことなく、多数ご観覧下さるようお
薦め
いたします。  (公民館)