Subject: EEE会議(余談:仏さまのお花に、よろしければ・・・)
Date: Mon, 12 May 2003 22:26:18 +0900
From: "Kumao KANEKO" <kkaneko@eeecom.jp>

各位殿

いつも核だ、テロだと殺伐な話題ばかりなので、この辺でちょっと気分一新していた
だくために、飛び切りいいお話をお届けします。これは最近小生の中学時代の恩師か
ら直接聞いた実話で、さる雑誌の「随筆」欄に頼まれて書いたものですが、お気に召
せば幸いです。
金子熊夫

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仏さまのお花に、よろしければ・・・


         金子 熊夫

私の郷里は、戦国時代の長篠合戦(1575年)の古戦場で有名な愛知県新城市である。
私の生家の近くの田や畑の中には、合戦で戦死した武田方の武将の名を刻んだ石碑が
今でもいくつか立っている。新城市は、今年4月、例の偽装誘拐殺人事件で一躍マス
コミの話題になってしまったが、本来は山紫水明を絵に描いたような穏やかで美しい
町である。先日、市のロータリークラブで講演を頼まれて久しぶりに帰郷した際、つ
いでに、老齢で病気療養中の中学時代の恩師N先生をお見舞いしたところ、こんな素
晴らしいお話を伺ったので、早速ご披露しておきたい。

N先生が現役の中学校校長当時、毎朝通る狭い道沿いの空き地に30坪ほどの野菜畑
があった。そこには四季折々の草花がいつも美しく咲き乱れていて、傍に立て札が
立っていた。「仏さまのお花に、よろしければご自由にお取り下さい。奥の方から
取って、表通りは観賞用に残しませう。」

旧仮名遣いなので、立て札の主はお年寄りと推察できたが、どなたであろうか。この
善行を紹介したいと思ったが、そんなことをして世間に知られればかえってご迷惑に
思われるのではないかとN先生は考えた。そして、年月は過ぎた。

 「これは菊の花です。秋になると、きれいな花を咲かせます。どのように変化する
か、これから見ていて下さいね」と、立て札が変わっていた。明らかに子供たちへの
呼びかけである。この小径は、車は普段通らず、子供たちの通学路になっていたの
で、児童たちは毎朝この立て札と菊の花を見て登校する。ほのぼのとした風景であ
る。そして、立て札も時々変わり、また数年が過ぎた。

 ある時、この道を通ってN先生は驚いた。野菜畑は荒れ、仏さまの花も観賞用の花
も枯れたままではないか。これは一体どうしたのか。N先生は、胸の不安を抑えて、
急いで立て札の主を探した。その人は、畑からはやや遠い所に住み、雑貨卸商を営む
老舗の主人であった。既に病床に臥していたが、やがて92歳でこの世を去られたと
いう。間もなく元の地主に返還されたその畑は、地主によって駐車場となり、景観は
一変した。

N先生が明かしたその老人の名前は、50年近くも前に故郷を去った私には聞き覚え
がなかったが、しかし、なんとなく、遠い昔子供の頃どこかで出会った人のような、
懐かしさを覚えた。

 と同時に、新城市の教育長まで務められたN先生が、このような奇特な老人の話
を、今まで公の場では一度も口にされず、老人の死後になって初めて私たちにこれを
披露された、その心遣いというか、奥床しさにも、心打たれた。おそらく故人もそれ
を望まれたのだろうと思う。

 翻って、昨今は暗い話題や不愉快なニューズがマスコミに氾濫している。わが故里
新城市もついにマスコミの餌食になって、全国的に知れ渡ってしまった。そうした世
相の中では、本来なら一服の清涼剤になるはずの、こういう美談や善行すらも霞んで
しまいそうである。

 この原稿を書き始めたとき、偶然N先生から毛筆の手紙が届いた。それには先日の
病気見舞いへのお礼の言葉とともに、次のような言葉が綴られていた。

「発病を機に、人生の第4コーナーにかかったことを自覚し、現在はベッドから離れ
ることのできた幸運を感謝して、わが人生の店じまい、生活の整理にかかっていま
す。

 日暮れて道遠し。秋は紅葉、冬は雪、春は花、初夏は新緑、去るもの総てこれ一回
限り。老後の千金の日時を大切にしたいものと念じつつ・・・・・

 どうぞ、ご健勝にお過ごし下さいますように。」