送信者: "Kumao KANEKO" <kkaneko@eeecom.jp>
件名 : EEE会議(Re:日本の原子力開発の進め方:もっとリスク論を!)
日時 : 2003年5月16日 20:10

各位殿

我が国の今後の原子力開発の進め方につきましては、これまで当EEE会議でもプル
サーマル問題、「もんじゅ」判決、東電問題と「維持基準」、六か所再処理工場問題
等々を巡って様々な角度から議論が行われてきましたが、小生の率直な感じを申し上
げれば、まだまだ、十分議論され尽くしたとは言えず、質的にも量的にもさらなる論
議が必要ではないかと考えられます。そうような趣旨で、本日天野 治氏(日本原子
力学会企画委員、再処理・リサイクル部会幹事)からいただいた次のメールは、当会
議での議論に新たな切り口を提供するものと考えます。引き続き、皆様方の積極的な
コメントや発言を歓迎いたします。
金子熊夫

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もんじゅ判決、東電維持基準のリスク論を浸透させるために

(リスク論を幅広く展開すべき)
もんじゅ判決や東電での維持基準の導入など、推進側がリスクをとり入れるべきとの
論が多数出てきたが、のど元過ぎればで、その後さまざまな方面へのリスク論を展開
しようという積極的な発言が聞かれない.
もんじゅ判決や維持基準だけがリスクに基づくもので無いのは、当然のことであり、
われわれを取り巻くものの設計基準や安全基準ほとんどのものにその考えを浸透させ
なければならない.
もんじゅ判決や維持基準で原子力を推進した人々は高い授業料を払った、これを教訓
として日本の中にリスクをとり入れる努力をすべきである.
もんじゅ判決への批判や維持基準の導入の説明にだけ、リスク論を使うのは弁明やい
い訳を聞いている気分になる。もっと幅広くリスク論を取り上げるべきではないだろ
うか.


(受容リスクレベルは国際レベルで不十分か)
また、日本の有識者の中にも、国際的に受容するリスクレベルよりも日本では1桁か
ら2桁下げる議論なり、そのようにしようとする姿勢がある。
そのことは本当に論理的なのだろうか.日本人は、国際的にくらべてリスクに対して
弱い民族なのだろうか.
リスクを一桁から二桁下げれば、当然の事ながら経済性を失う場合が多い.日本全体
が国際競争力を失いつつある中で、そして相変わらず内外価格差が米国、英国の3倍
程度存在する中で、これ以上日本独自のリスクを使う時代ではないと思う.

(リスク論を国民に啓蒙するための手段)
リスク論をまず、有識者で議論して、その次にはどのように国民に浸透するような方
策の議論が必要である.専門家のアドバイスをお願いしたい.また、そのために国の
予算を大幅に投入すべきではないだろうか.

(リスク論をもっと議論しよう)
もっと勉強すべきであるが、わかりやすい解説も必要である.是非、さまざまな意見
を期待したい.

<EEE会議をサポートするメンバーの一員より>