EEE会議(「原発は敗戦処理の時」:反原発NPOの主張)............................................2003.8.6

すでにご存知の方も多いかと思いますが、「環境エネルギー政策研究所」と称する特定非営利活動法人(NPO)があります。これは、比較的最近「持続可能なエネルギー政策の実現を目的とする、政府や産業界とは独立した非営利の第三者機関として、地球温暖化やエネルギー問題に取り組む環境活動家や、専門家たちによって設立」された団体ということです。

所長の飯田哲也氏(「自然エネルギー促進法」推進ネットワーク代表)は資源エネルギー庁の総合資源エネルギー調査会委員を務めたこともあるエネルギー問題の専門家で、反原子力的言動でも知られた人です。同研究所のメールマガジン「Sustainable Energy and Environmental News (SEEN)」(本年5月創刊)に同氏の意見が載っていますので、とくに目新しい内容というわけではありませんが、参考までにいくつかご紹介しておきます。なお、同研究所の組織や活動に関心のある方はHP(http://www.isep.co.jp) をご覧下さい。
--KK
 
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原発は敗戦処理の時 (2003.5月31日 創刊号) 

飯田哲也

 この夏の首都圏は、電力危機が懸念されている。皮肉なことに、安定供給を錦の御旗にしてきた原発が危機の原因である。原発に過度に依存した脆弱な電力供給構造の必然の帰結といえよう。
 これを象徴として、政府や電力会社のいう「原発の利点」とは正反対の無惨な光景が現実のものとなりつつある。
 「安い」と喧伝してきた原発だが、電力会社は「原発は電力自由化で生き延びられない」として、「国」には原発推進の責任を取れと迫り、返す刀で自由化の拡大を必死で阻止するなど、なりふり構わない姿勢に変わった。
 最大の論拠である地球温暖化防止も怪しい。日本は、1990年代に原発を1300万kW以上も拡大し、しかも低成長下でさえ、CO2を90年比で8%も増大させた。つまり、原発拡大に依存する政府の温暖化防止大綱の破綻を自ら立証し、しかもその原発増設計画も画餅にすぎない。他方ドイツは、同時期に原発を新設することなく、CO2を20%も削減した。とくに、風力発電が1200万kWと電力の5%を担うまでに著しい成長を続け、産業・雇用へも好結果をもたらすなど、日本とは対極的だ。
 資源節約論はもっとたちが悪い。高速増殖炉路線は世界史的な帰結として破綻しているのだが、現実を見ようとしない「国」は核燃料サイクルの旗を降ろさない。「国策」と地元の狭間にたち、物理 的にも政治的にも行き場のない使用済み燃料を抱えた電力会社は、六ヶ所村再処理工場の建設へと追 いつめられている。3 兆円もの巨費を投じて生み出されるのは、何の正当性も使い途もない余剰プル トニウムと、いっそう巨額となる不良債権であり、そしてそれ自体が壮大な放射性廃墟となる。 
 安全性はもっとも深刻な問題だ。東京電力不正事件と高速増殖原型炉もんじゅ控訴審判決が明らか にしたものは、根幹となる安全性の危うさである。「ひび割れ」の原因すらまともに究明せず、「国」 の安全審査や電力会社の安全管理の機能不全を改善することもなく、原発の老朽化だけが進行してい る現状は、真に危機的である。 
 にもかかわらず、この国のエネルギー政策は、原発教信者にハイジャックされているかのようだ。 自民党の原発族議員を中心に、電力会社・経済産業省の原子力技官など既得権益層は、原発促進法を 定め、電力完全自由化を阻止し、欠陥原発動かし法を通した上に、核燃料サイクルに要する巨額の費 用負担をさらに国民に押しつけ、原発からの電力買取りを強制するなど、狂気じみた政策を企んでい る。 
 これらは原発への賛否を問う以前の次元で、とても公正な公共政策とはいえない。本来的に内包する巨大事故や廃棄物の問題と重ね合わせると、原発は、持続可能な社会という長期目標に相容れない ばかりか、短期的にも日本社会の大きなリスクとなっている。 
 もはや原発は敗戦処理の対象である。自然エネルギーとエネルギーの効率化に軸足を置いたエネルギー政策への転換は待ったなしだ。
 
                                       【毎日新聞2003年4月7日寄稿】

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日本のエネルギー政策は「空っぽの洞窟」 (SEEN-Vol.1  8月1日号)

所長 飯田哲也


東京電力のすべての原発が一時は全機停止に追い込まれ、原発批判
派すら想像も出来なかった「関東大停電の危機」がいよいよ現実味
を帯びつつある。

しかしこの電力危機は幕開けに過ぎず、日本のエネルギー政策を見
渡してみると、全方位的に崩壊しつつある状況と、その中心には、
金融システムや公共事業にも共通する、無責任な日本型システムの
「空っぽの洞窟」をはっきりと読みとることができる。

その崩壊の過程で、国民にさらなる負担を押しつけて既得権益を維
持しようとする「古い構造」と、さすがにこのままではまずいとい
う危機感を持った変化の動きという、従来の原発推進・脱原発とは
異なる亀裂が生じている。

● 自滅が招いた電力危機
そもそも、なぜこのような事態に陥ったのか。言うまでもなく、昨
年8月29日に明らかとなった「東京電力の原子力発電所における
自主点検作業記録の不正問題」(以下、「不正問題」)がことの始
まりだ。東電の福島第1原発、第2原発、柏崎刈羽原発で、1980
年代後半から90年代にかけて、東電の委託を受けた米国検査会社
(GEII社)が実施した自主点検作業において、シュラウド、蒸気乾燥
機、ジェットポンプなどの機器のひび割れやその徴候等の発見、修
理作業などが不正に記載されていた、という事件だった。

その2年前に米国検査会社(GEII社)の検査員が旧通産省へ東京電力
の不正を告発したが、この告発は放置されたまま原子力安全・保安
院に引き継がれ、その後も当事者である東京電力に本人を特定でき
るかたちで事実照会するなど、一貫して緊張感を欠いた対応を取っ
てきた。

それどころか、東京電力の重役を中心に据えて維持基準の導入準備
を進めるなど、官民ぐるみで「落としどころ」を用意してきたフシ
がある。昨年7月に福島第二発電所の定期安全レビューを受け取っ
たときも、すでに不正事件を知っていたにもかかわらず、「高いレ
ベルの安全水準にある」といったんは認めるなど、「国」の対応は
あまりに不自然だった。

8月29日に不正事件が報道されるや、一転して国は「正義の味方」
を装い、維持基準の導入を「落としどころ」として突っ走りはじめ
た。健全性評価によって「ひび割れ」を容認する維持基準の考え方
には一定の合理性は認めるものの、「不正が起きたのは国の基準が
新品同様を要求したからだ」という論理だけで不正事件に片を付け
るのは子供だましにも劣る。

この不正事件は、虚偽の記載という東京電力の不正だけが問題なの
ではない。 (1)なぜ「ひび割れ」(応力腐食割れ、SCC)が改良材
のステンレス鋼にも生じたのか、(2)シュラウドや再循環系配管以
外の重要部材に問題はないか、(3)「国」や東電の検査および品質
保証の体制や能力は信頼に足るのかといった、より本質的な問題が
きちんと解明されていない。

案の定、その後、福島第一発電所第1号機で圧力容器の気密漏洩試
験データの不正が発覚したり、超音波を使った傷の検査方法の誤差
が著しく大きいことが東北電力で発覚し、維持基準の前提となるデ
ータの信頼性が崩れるなど、今日の自滅的な状況を自ら招いている。

つまり、東京電力の不正事件が問うたものは、「国」と電力会社の
原発の安全性に関する当事者能力である。とくに不正事件発覚の直
後の発言:「原発は安全で、定期検査の前倒しは必要ないと今でも
思っている」(原子力安全・保安院山下弘二原子力防災課長、2002
年9月5日)、「520万キロ・ワット(の出力の原子力)を止めるのは常識
的に異常だ」(松浦祥次郎原子力安全委員会委員長、2002年9月5日)
を見る限り、「国」の安全規制の当事者能力はまったく期待できないこ
とがわかる。


【論座2003年8月号掲載原稿】(掲載文章とは一部異なります)