EEE会議(拙稿供覧:「非核国日本の原子力政策」).....................................................031225


多事多難だった2003年もいよいよあと数日となりました。今年1年を振り返っ
て、小生が平素つよく感じたことを纏めた小文が今朝の電気新聞の時評欄に掲載され
ました。すでにお読み下さった方もおられるかと思いますが、改めてご一読の上、何
らコメント、ご感想などお聞かせいただければ幸いです。 とくに最後のパラグラフ
で、インドの重要性と日印原子力協力の必要性を論じている部分について、忌憚のな
いコメントやご批判を期待しております。
--KK

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  非核国日本の原子力政策
                    金子 熊夫

 アイゼンハワー大統領の歴史的な「アトムズ・フォー・ピース」演説(1953年
12月)から50年目の今年、内外で多数の原子力や核問題関連の国際会議が開催さ
れた。そのいくつかに筆者も出席したので、とくに印象に残ったことや重要と思われ
る点をアット・ランダムに記しておきたい。

 まず第一に痛感したのは、今更言うまでもないことながら、原子力の軍事利用(核
兵器)と平和利用(原子力発電)は本来同根であるということだ。一般的には、前者
は安全保障問題、後者はエネルギー問題として別個に扱われているが、両者は常に表
裏一体をなしていることを忘れてはならない。

 原爆発祥の地米国では、マンハッタン計画以来この相関関係を巡って、社会科学者
と科学技術者との間でインタフェース的な議論が活発に繰り返されている。この点、
明治以来文系と理系が截然と分かれ、学際的な議論が極端に乏しい日本とは大違いだ
が、日本が今後も原子力平和利用を円滑に続けるためには、もっと文系学者や専門家
の力を借りる必要があり、そのための環境作りが急務であると思う。

 第二に、これまた当然ながら、核兵器国は軍事利用と平和利用を峻別せず、両者を
自在に調整しつつ同時並行的に進めている。従って、仮に経済的理由で原子力発電を
止めても軍事利用で十分技術や人材の温存ができる。ここが日本と根本的に異なる点
だ。

 昨今日本は、核燃料サイクル(再処理、プルトニウム利用、高速増殖炉開発等)の
分野で世界的に「突出」しているとの批判が聞かれるが、それは一面的な見方だ。安
全性、コスト、一般市民の核アレルギー等々、幾多の制約要因を克服して、核燃料サ
イクル計画を完成させることを国策とする以上は、歯を食いしばって自力で技術開発
を続けなければならない。原子力は金がかかり過ぎるという批判もあるが、国防費を
国民総生産の1%程度に抑えている日本が原子力を含め科学技術開発に金をつぎ込む
のは当然の選択である。

 第三に、他方、広く北東アジアに目を転ずると、例えば韓国は日本以上にエネル
ギー事情が厳しいのに、安全保障上の理由で再処理も濃縮も禁止されたままだ。彼の
国の専門家達に言わせると、「非核兵器国でありながら日本は米国とうまく交渉をし
て、核兵器製造以外のすべての原子力活動を自由に行なっている。日本はいわば『準
核兵器国』だ」ということになる。そうした羨望、嫉妬が対日不信を生む。日本核武
装疑惑がとりわけ同国の識者の間に根強いのはそのためだが、そのことに気付いてい
る日本人は少ない。これでは北朝鮮対策で日韓が真に一致協力することは不可能だろ
う。

 第四に、このこととも関連するが、日本人、とりわけ原子力専門家は海外の日本核
武装疑惑にもっと真面目に対応する必要がある。平和利用(原子力発電)だけにかま
けずに、軍事利用問題(核戦略、核拡散)にももっと積極的に発言すべきだ。それが
日本自身の安全保障にも繋がると信ずる。

 第五に、しかし、核不拡散条約(NPT)をいつまでも金科玉条として杓子定規に
対応するだけでは駄目だ。核不拡散は手段であって、目的はあくまで国際安全保障
だ。例えば、同じアウトサイダーでもインドと北朝鮮は全く違う。インドの核ミサイ
ルが日本に飛んでくることはまずあり得ない。しかもインドは、パキスタンなどと
違って核関係資材や技術の不正輸出は行なっておらず、原子力平和利用面で制裁を課
す必要はもはや無いはずだ。最近米国の専門家からもインド重視論が出ている。日本
は、将来の対中国外交上もインドとの関係を抜本的に改善すべきで、手始めに日印原
子力関係をもっと前進させる必要がある。



掲載紙: 電気新聞・時評「ウェーブ」 (2003.12.25)