050111 「原点を考えるー安く豊かな石油時代が終わる」 石井吉徳氏の最新論文のご紹介

「原点を考える--安く豊かな石油時代が終わる」と題する石井吉徳氏(東京大学名誉教授、元国立環境研究所長、富山国際大学教授)の最新論文を送っていただきました。若干長文なので、その最後の部分だけを以下にご披露します。全文は次のサイトでどうぞ。ご参考まで。

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最新の拙文です。日本原子力学会誌の依頼原稿ですが、世は動いており、出版まで待てません。そこで僭越ながら、仲間内の各位にその骨子をご紹介したく存じます。過日、小泉総理への緊急アピールの理論的背景であると申し添えます。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/opinions/nuclear.htm

以上
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メールアドレスを変更しました。
石井吉徳
神奈川県、逗子市、久木 8−2−14
[y_ishii@qa2.so-net.ne.jp]
http://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu


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(以下、最後の約3分の1を抜粋しておきます--KK)

 

3−3 日本のエネルギー、今後の課題

地球は有限、いつまでも安く豊かな石油があるのではない。石油価格の乱高下は、これを反映するのであろう。ところがエコノミスト、そしてエネルギー専門家すら、中東が不安定だから石油が高騰するというのである。そして非在来型の炭化水素資源、オイルサンドなど、重質油が膨大であると楽観する。だがエネルギーの質は在来型の油田とは比較にならないほど低く、例えばカナダのタールサンドのEPRには1.5という数字がある。非在来型は、その名のとおり石油とは全く異質の低品位の資源なのである。

日本で話題のメタンハイドレートは、資源と言えるどうかすら疑問である。海水ウランも未だに研究が続けられるが、海水に溶存するウランの濃縮には、膨大なエネルギー必要であろう。エントロピーを下げる話だからである。このように低品位の希薄な物質を、量の大きさのみに着目し、未来の資源という話が日本には多すぎる。この意味でもEPRの導入は大事である。

水素も例外ではない。化石燃料から水素を作る話などは、本末転倒の議論である。今後水素は慎重に進める必要がある。燃料電池車論議も気になる。世界には6億台の車社会がある。これを変える話である。

更に続ける。流行のバイオ、エネルギー農業だが、既に述べたように、現代農業は大量の石油に支えられている。このためサトウキビからのエタノールはEPR0.8〜1.7と低く、トウモロコシも1.3である。またトウモロコシの残渣からのEPRも0.7〜1.8と低いようである。

この例は教訓的である。トウモロコシは人がそのまま食べるのが最も効率がである。植物残渣もそのまま燃料とする、発酵メタンもそのまま燃料とするのが効果的である。昔から発酵メタンはそのまま燃料として使われている。

ハイテクがすべてよい、と思ってはならない。自然エネルギーもその性質、意味をよく理解して利用するのよい。自然エネルギーとは広く分散しているもの、広域分散型は、広域のまま利用するのが最も合理的なのである。無理に集める技術では、EPRは高くなるとは限らない、それはエントロピーを下げる話だからである。

 

3‐4 「高く乏しい石油時代」を生きる

石油はあまりにも優れている。代替はありそうになく、これからは「高く乏しい石油時代」が来るが、これでも石油は大事がエネルギー源であり続けよう。しかしその量はしだいに減耗する。

石炭、原子力も大切というのはそのような意味においてである。単純に脱石油というのではなく、最も大切なことは現代の浪費型社会を可能な限り改めるのである。高く乏しいエネルギー時代を、生き抜くには先ず無駄をしないこと、浪費しないことだが、これはライフスタイルを変えるというレベルのことではない。

人類は数億年の地球の営みを、たった半世紀、しかもその後半の四半世紀の殆どを使い切ろうとしている。このような人類に、簡単な解決策などある筈はない。人類は地球の本質的な限界、壁に遭遇しているのであって、よくある悲観論か楽観論といったことではない。

これからは冷静な科学で、原点から考えるしかないが、日本の立場から思いつくことを次に並べる。

石炭、原子力をどう考える。日本の石炭、海外炭、そして石炭液化など。原子力での電力供給の何処まで可能か。原子力も上流から下流まで石油に依存する。そして燃料サイクルだが、これらをEPRで整理できるのか。

水力、地熱など在来型の自然エネルギー、そしてこれからの小型分散水力、低温地熱利用など。分散、地域エネルギーと地方自治体。

再生可能なエネルギーの積極活用は大切だが、集中エネルギーとしては限界、今後冷静に考えたいが、大切なことは地域分散であろう。大型、集中は自然エネルギー向期でない。

早急に解決すべきことは、内燃機関用の燃料だが、流行に捉われないことである。水素を万能と思わないこと。燃料電池も選択肢の一つである。

バイオ、有機廃棄物の効果的な利用が大切、先端技術に過度の期待をしない、エネルギー源は変換する度に損失する。

社会のインフラは急には変われない。早急な対策は必要だが、思いつきの拙速をしない、正確な問題認識が先ず必要。

総合的な論理思考が望まれる、評価にはEPRなどネット・エネルギーを重視する。税が投入されたエネルギー技術の多くは成功していない。

天然ガスからの合成液体燃料では、天然ガスの65%が過程で費やされる。これはLNGでの35%を遥かに上回る。そして天然ガスも無尽蔵ではない。天然ガスから水素は、やってはいけない。

などなどだが、判断の基本は「地球、自然は有限である」ことを忘れてはならない。「限界に生きる知恵」の時代がくると思うべきである。

 

3−5 「物より心」:変わりつつある国民の意識

幸い国民の意識は変わりつつある。原点としての理念も「物より心」である。内閣府の調査によれば、「物の豊かさより心の豊かさ」を優先、重視する国民が6割に達している。この「物と心の逆転」は、20年前から始まっていた。 

ところが、不況の90年代、日本政府は膨大な税を費やし、公共事業として橋、道路、箱物を作り続け、膨大な借金の山を築いた。そして今科学技術振興と称して、大学、国研などは建築ラッシュ、箱もの作りに忙しいが、魂はまだ入らない。このように税の浪費は今も続く、環境ですら技術、ビジネス優先である。そして「日本人の心」は貧しくなった、マネーは人心を荒廃させるようである。

 

あとがき

9月9日、日本原子力学会の依頼で、プレスセンターで講演した。題は「原点を考えるー安く豊かな石油時代が終わる」とした。石油減耗の関連で原子力をどう見るかであるが、私はウラン燃料サイクル関連施設を除き、「もんじゅ」、東電柏崎、東海村の施設など、原子力関連施設を殆んど見ている。それは石油開発での16年間を経て、東大で23年間、資源論、特にエネルギー論を「考える」にも、原子力の理解は不可欠であったからである。

私は元々理学部出身、地球物理学を学んだ。ゆえに「地球は丸く有限」が、私の思考の原点である。その後、国立環境研究所長の立場で、エネルギーを環境サイドから眺める機会を得たが、1997年のCOP3の京都国際会議場にもいた。おかげで多くを学んだ。

そして2004年、「石油ピーク」のためベルリンに赴いた。ASPO(The Association for the Study of Peak Oil)である。指導的な立場のC.キャンベル、そしてブッシュ大統領のエネルギーアドバイザーM.シモンズなどとも会ったが、彼等は真剣である。だが日本はまだまだ,世界中で一番エネルギー供給の脆弱な日本がである。私は危機感の無い日本が、本当に心配なのである。

著名な生態学者A.ロトカは「エネルギーが豊富なとき、エネルギーを最も多く使う生物種が栄えるが、エネルギーが乏しいときエネルギー使用最小の種のみ生き残る」といっている。教訓的である。
尚本稿にて説明不足は、私のホームページを参照されたい。URLはhttp://www007.upp.so-net.ne.jp/tikyuu/である。

以上