050514  Re:余談: 第2次世界大戦ドイツ敗北60年 〜日本との比較
 
標記のメール(5/13)でご披露した愚見に対し、幾人かの方々(いずれも匿名希望)からコメントをいただきました。何分大きくかつ複雑なテーマですから、本格的に(体系的に)論ずるのは中々大変で、従って以下のコメントはいずれも断片的なものではありますが、それぞれ重要なポイントを衝いていると思います。ご参考まで。なお、このテーマは当EEE会議の主題ではありませんが、時節柄重要な問題点なので、しばらく議論を続けてみたいと思います。更なるコメント、反論などを歓迎します。実名、匿名いずれも可です。
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匿名希望A氏:
 
ナチスと日本軍国主義の違いに注目する必要があります。ナチスは戦争と関係なく、ユダヤ人というだけで片っ端から殺し、民族の抹殺を公式の政策としたわけで、日本はそんなことはしていない。日本の場合は戦闘の過程で非戦闘員を殺した、すなわち戦争にはつきもののことをやったまでであり、この違いを認識することは常識ではないでしょうか。
 
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匿名希望B氏:
 
ドイツで「解放の日」とされるのは「ナチス・ドイツからの解放」という意味で、ヒットラー以下のナチスは「極悪人」であり、現在のドイツ人とは無関係だと考えられているのでしょう。だからナチスにすべての罪をおっ被せて、過去を清算しようとしているのです。
 
一方日本では、東京裁判で処刑された人々を含めていわゆる「戦犯」は、連合軍が勝手にそう呼んでいるのであって、大部分の日本人はそうは考えていない、むしろ彼等は連合軍の犠牲(いけにえ)にされた人々、あるいは国の大義に殉じた人々という感情の方がつよいのではないか。彼等もその他大勢の日本人も共に責任がある、戦後よく言われた「一億総懺悔」とか「運命共同体」(南原繁元東大総長)とはそういう気持にほかならない。今でも、口には出さぬが多くの日本人は腹の中ではそう思っているはず。だから日本人にはドイツ人のような「解放」という受け止め方はありえない。(あるとすれば、ごく少数の「非国民」だった人々。一般市民にとっては「戦争の苦しみからの解放感」はあったが、それは勿論全く別物である。)
 
とくに米国との関係では「被害者」意識の方が強いのではないか(被爆者は言うに及ばず)。この意識と、中国、韓国(朝鮮)その他アジア諸国に対する「加害者」意識とがきちんと整理されていない。そのために、これら諸国に対する「謝罪」とか「償い」が疎かになっているという面があるのは否定できないだろう。
 
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匿名希望C氏:
 
1.日独の戦後処理を巡る議論の中で、あるところで、独は無条件降伏をしたが、講和条約を結んでいないとの話を聞いた記憶があります。その意味は独は、賠償についての国際約束が無いとの解説だったような気がします。独がホロコーストなどについて繰り返し謝罪し、個人に賠償していることには、そのような背景があるというように理解しました。これに対し、日本は、韓国、中国はじめ東南アジア各国との間で平和(講和)条約を締結し、国家レベルでは賠償問題は決着がついていることが、日独の対応の違いを考える際の根っこにあるのではないかというのです。この点について何か情報かコメントを得られれば幸いです。

2、中国の反日運動に関連することとして、次のようなことが考えているのではないかと思います。すなわち、「中国の国家目標は、過去の栄光を20XX年までに復活させることにあり」と公言している(?)とすれば、当面アジアで第一位の座を狙うことが、目標になるはずで、現在大きな顔をしている日本がターゲットになる。とすれば、日本に安保理常任理事国入りを認めることなど、とんでもないことになります。靖国や教科書に示される歴史認識の問題もこのようなコンテキストで考えれば、容易に解決しない(仮に小泉首相が靖国参拝を止めても、それだけでは解決しない)。隣国との付き合い方は、他の例に見ても容易ではありませんが、少なくとも諸前提を確認しておく必要があるというのが、私の見解です。

 
 
 
----- Original Message -----
From: Kumao KANEKO
Sent: Friday, May 13, 2005 12:17 PM
Subject: EEE会議: 余談: 第2次世界大戦ドイツ敗北60年 〜日本との比較

皆様
 
最近の中国や韓国における「反日」的論調のなかに、「日本は過去の反省を本当にやっていない、ドイツははっきり過去を反省している、だからドイツは国際的に受け入れられているが日本は駄目だ」という見方があるようです(例えば最近の廬武鉉韓国大統領の発言)。5月8日はナチス・ドイツ敗北の60周年記念日で、この日はドイツでは「解放の日」と位置づけられているようです。ある世論調査では、国民の約8割がこの日をそうとらえているとか。
 
一方、日本で8月15日を「解放の日」と思っている人は(えせ文化人を除いて)ほとんどいないと思います。共に同盟国として第2次世界大戦を戦い、敗戦国となったのにどうして日独で差が生じたのでしょうか。60年目の今年、「あの戦争」の意味をもう一度原点に戻って考えて見る必要があると思います。そもそも60年経った今も「あの戦争」とか「先の大戦」という言い方をしてごまかしていること自体がよくありません。もっとはっきりした名称で呼ぶべきです(必ずしも「大東亜戦争」に拘るわけではありませんが)。それをしていないから、いつまでも中国や韓国に有効な反論が出来ないし、日本の若者に正しい歴史教育も出来ないのだと思います。この点については、いずれどこかで私見を申し述べる予定です。
 
その前に、今朝偶々拙宅に舞い込んできたあるメルマガに載っていた「ドイツ便り」をご紹介します(ソースは末尾に)。ご参考まで。
--KK
 
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<第2次世界大戦ドイツ敗北60年>

●過去追憶が国家の象徴に

 ドイツは8日、第2次世界大戦敗北から60周年を迎えた。ドイツが連合軍に無
条件降伏した“敗北の日”ではなく、自由と民主主義を手にした“解放の日”と
して祝われている。積極的な戦後補償と外交努力を続けることで、旧敵国との友
好関係構築に成功。国際社会から認知されるに至っている。(ベルリン・豊田 
剛)

●国民8割がドイツ「解放の日」

 ベルリンの中心部で10日、ホロコースト(大量虐殺)記念碑が正式に公開され
る。正式名称は「殺害された欧州ユダヤ人のための記念碑」。敷地内に並んでい
る2711個のコンクリートは犠牲者の墓にも見え、ナチスの犯罪を決して忘れない
という意味が込められている。欧州における第2次世界大戦終結六十周年に合わ
せて完成した。

 シュレーダー首相は9日にモスクワで行われる対独戦勝60周年記念式典に参加。
ドイツ首相の参加は初めてとなる。ここ最近、敗戦国ドイツが戦勝国のイベント
に正式招待されるようになった。戦後60年という節目が、外交面での意識変化を
招いているといえる。

 昨年には、フランスの「ノルマンディー上陸」60周年記念式典、ポーランドの
「ワルシャワ蜂起」60周年記念式典に参加。ケーラー大統領は今年1月にポーラ
ンド南部の「アウシュビッツ収容所解放」60周年記念式典に出席した。

 シュレーダー首相は7日付南ドイツ新聞への寄稿で「歴史に向き合い記憶して
いく中で、われわれは過去を清算していく」と述べた。その上で首相は「ナチス
時代や戦争、民族虐殺を追憶することはドイツのアイデンティティーの一部とも
なった」と指摘した。

 ワイツゼッカー元大統領は1985年、5月8日をドイツがナチス政権から解放さ
れた日と位置付けた。シュレーダー首相は、第2次世界大戦の終結は「連合軍の
勝利だけではなく、ドイツにとっての勝利でもある」とし、ドイツの解放を強調。
ただ、そう認識できるようになるまで数10年の期間を要したと説明した。世論調
査によると、国民の約八割がこの日を「解放の日」ととらえている。

●被害者意識の高まりも

 昨年、ドイツで大ヒットを記録した「ヒトラー―最期の12日間」(日本は今夏
公開予定)は、人間としてのヒトラーに焦点を当てたこれまでにないタイプの作
品。ホロコーストの歴史を美化しているとの批判も受けたが、戦後生まれの世代
を中心にドイツが客観的に歴史を検証できるようになった証拠だといえよう。

 ドイツ公営第1放送(ARD)は3夜にわたってナチス政権のシュペーア軍需
相をテーマにしたドラマを放映している。同氏は、ヒトラーの側近でありながら、
ニュルンベルク裁判で懲役20年という軽罪で済んだ。ヒトラーの側近がホロコー
ストの事実をどれだけ知っていたかが焦点となっている。

 ただ、最近になってドイツを“被害者”と考える傾向が強まっている。ドイツ
戦後60周年の一連のイベントの企画者であるウォルフ・キューネルト氏は「ドイ
ツは補償に次ぐ補償を行っているが、これで十分ということはない。国民は戦争
責任の話題をネガティブにとらえる傾向にある」と分析した。

 東部ドレスデンで今年2月、第2次世界大戦の空爆60周年を追悼した。ドレス
デンを州都とするザクセン州議会は黙祷(もくとう)をささげたが、極右のドイ
ツ国家民主党(NPD)は参加を拒否。その上で、連合軍による空爆を「爆弾ホ
ロコースト」と形容した。

 空爆では市の約85%が壊滅され、3万6000人が命を落としたとされる。日刊紙
ドレスナー・モルゲンポストの記者は「本音では大半の市民は戦争の話題にウン
ザリしているはずだ」と語った。

【戦後ドイツの主な動き】
 1945年 4月 第2次世界大戦でドイツが無条件降伏
 1949年 5月 西ドイツが誕生
      10月 東ドイツが誕生
 1953年 6月 東独で大規模な民衆蜂起
 1955年 5月 西独が北大西洋条約機構(NATO)に加盟
 1961年 8月 ベルリンの壁が構築される
 1970年12月 ブラント首相がワルシャワのユダヤ人居住区の慰霊碑前で
         ひざまずいて謝罪
 1989年11月 ベルリンの壁が崩壊
 1990年10月 東西ドイツが統一
 1999年 3月 ドイツ軍がコソボ空爆に参加。NATO域外の軍事活動と
         しては戦後初
 2003年 4月 イラク戦争参加を拒否。全国的に大規模な反米・反戦デモ
 2004年 6月 シュレーダー首相がノルマンディー上陸作戦60周年記念
         に参加。独首相の参加は初めて
 2005年 1月 アウシュビッツ解放60周年記念式典にケーラー大統領が 
        参加
       5月 モスクワの対独戦勝60周年記念式典にシュレーダー首相 
         が出席
          ベルリンにホロコースト記念碑が完成
 
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ソース:
The World News Mail@2005.5.13  No.574